- 「刑事コロンボ」に愛をこめて -

- ピーター・フォーク Peter Michael Falk -

<刑事ドラマの超定番>
 「刑事コロンボ」ほど、日本の刑事ドラマに影響を与えたキャラクターはいないかもしれません。「古畑任三郎」のようにはオマージュとして生かされている作品もあれば、「太陽に吠えろ」の山さんや「相棒」の杉下右京(水谷豊)のようにコロンボのキャラクターを真似た刑事のなんと多いことでしょう。なぜ、コロンボはこうも人気があるのでしょう?そこまで影響を与えたのはなぜでしょう?
 僕自身、かつて「刑事コロンボ」にはまっていたのですが、どこがそこまで面白かったのか?BSで再放送が始まったのとDVDで再発されたのを機にもう一度見直して見ることにしました。すると、やっぱり「刑事コロンボ」は凄かった!コナン好きの長男まですっかりはまり、じっくりと一本ずつ再見しています。初回の放送から40年、いまだにその輝きを失わないのには驚かされました。もちろん一話完結で監督も毎回違うため、出来不出来の差はかなりありますが、その平均レベルは最近のハリウッドの続編映画よりずっと高い気がします。
 なぜ、「刑事コロンボ」は面白いのか?その魅力の秘密に迫ってみたいと思います。

<1968年という年>
 刑事コロンボの第一作「殺人処方箋 Preseption : Murder」がアメリカで最初に放送されたのは、1968年2月20日のことです。この1968年という年は、どんな年だったのかというと・・・。映画界では「俺たちに明日はない」(1967年)、「卒業」(1967年)という2本のニューシネマの代表作が公開された翌年であり、「イージー・ライダー」、「ワイルド・バンチ」(1969年)が公開される前年でした。それは、ニューシネマの時代がまさに始まろうとしていた年だったわけです。それが「刑事コロンボ」とどんな関係があるのか?
 ニューシネマの時代とは、すなわち映画の都ハリウッドにとって最悪の時代だったということでもあります。だからこそ、まったく無名の監督たちに映画を撮るチャンスが巡ってきて、ニューシネマの名作が数多く生まれたのです。当時そこまで映画から観客が離れた原因としてテレビの普及をあがる場合があります。しかし、テレビの存在はけっして映画界にとって悪いことばかりではありませんでした。なぜなら、テレビは番組の不足を補い視聴率を稼ぐため、映画を放映してくれたからです。それは映画界の収益を確保してくれる存在でもあったのです。ただし、テレビでの映画放映にも限界があります。まして、映画界が不況だということは、テレビで放映しても視聴率がとれる新作は少ないということでもあります。そうなれば、テレビ局としては自ら予算をかけて、視聴率を稼げる番組を制作しようというアイデアが出るのは当然でした。 こうした時代の流れの中、アメリカのテレビ局大手のNBCは単発のTV用映画を放映する「ワールド・プレミア」というプログラムを始めます。そして、そこで放映するための2時間ドラマの中の一本が「刑事コロンボ」の第一作「殺人処方箋」でした。

<シリーズ化に向けて>
 「殺人処方箋」は、もともとは舞台劇として作られた作品でした。オリジナルの主演俳優は、コロンボ役が名優のトーマス・ミッチェル(「風と共に去りぬ」、「素晴らしき哉、人生!」など)、犯人役はジョセフ・コットン(「市民ケーン」、「第三の男」など)という顔ぶれで初演は見事にヒットしています。それだけ完成度が高い台本を用いただけに作品の出来は上々で、初オン・エア時の視聴率は29.9%を記録します。当然、シリーズ化の話がもちあがり、そのパイロット版として第一シリーズの1作目となる作品「死者の身代金 Ramsom For A Dead Man」が制作されることになりました。テレビ・ムービーとも呼ばれることになるこの時間枠の番組は、1971年にはスティーブン・スピルバーグのヒット作「激突」を生み、海外では劇場公開されるという逆転現象を生むことにもなります。それまで予算的にも内容的にも映画には、到底及ばなかったテレビが限りなく映画に近づいた時代、それが1960年代末だったのです。実際、「刑事コロンボ」の「殺人処方箋」、「死者の身代金」を初めとする初期の作品の何本かは、イタリアなどヨーロッパの国々で劇場公開されているようです。
 パイロット版として制作された「死者の身代金」の視聴率は、前作が好評だったこともあり、35.7%という高い数字をたたき出します。この結果を受けてNBCは、さっそくこの番組の原案&脚本家であるリチャード・レビンソン Richard Levinson、ウィリアム・リンク William Linkに番組制作の契約を申し入れます。
 こうして、NBCは1971年、「NBCミステリー・ムービー」という番組枠を立ち上げ、そこで「警部マクロード」(デニス・ウィーバー主演)と「署長マクミラン」(ロック・ハドソン主演)、そして「刑事コロンボ」の3本を週代わりで放送してゆくことになります。(このとき、シリーズ全体のテーマ曲としてヘンリー・マンシーニが作曲したのが、一般的に「刑事コロンボ」のテーマとして知られる曲でした)

<倒叙ミステリーという仕掛け>
このドラマが成功した理由のひとつ。それは、この番組がシリーズもののテレビ・ドラマとして初めて「倒叙ミステリー」の形式を取り入れたことです。「倒叙ミステリー」とは、物語の冒頭に犯人が誰かを明かし、その犯行を見せてしまうミステリーの一形式のことです。そのため、読者、もしくは視聴者はあらかじめ犯人が誰かをしっており、ドラマの中心はその犯人を刑事がどうやって逮捕するかにしぼられます。
 この形式は、視聴者から犯人探しの楽しみを奪うことになるため、正統派の推理ドラマとはいえないかもしれません。しかし、テレビの推理ドラマを見ていて、登場人物を演じる役者の顔ぶれから犯人がわかってしまったことがありませんか?だいたい、推理ドラマの犯人役はいつも決まっているものです。ならば、最初から犯人が誰かを明かしておけば、堂々と犯人役に大物の俳優を使うことができるのではないか。視聴者もまた、犯人当てではなくそこで演じられるドラマに集中えきるのではないか。当然、番組の予告編に犯人役の俳優を登場させることもできるし、再放送でも楽しんで見ることができるはずです。そうなれば、視聴率も稼げるし、番組を売りやすくなります。テレビ局としては万々歳のドラマ形式なのです。こうして、「刑事コロンボ」は、それまでのドラマとは異なり、毎回異なる大物スターを犯人役として登場させることができる画期的なミステリー・ドラマとなったのです。

<豪華な犯人役の顔ぶれ>
 こうして、コロンボと対決することになった大物俳優の顔ぶれは、このシリーズの売り物のひとつでした。しかし、コロンボと対決した犯人たちは、視聴率のとれる人気俳優たちではありませんでした。この番組のもうひとつの魅力、それは犯人役に選ばれたバラエティーに富む俳優たちの魅力にもありました。
 「死者の身代金」の犯人役、リー・グラント Lee Grant は、1951年映画「探偵物語」でアカデミー助演女優賞にノミネートされながら、その後「赤狩り」の犠牲となり映画界から追放されていた悲劇の俳優です。彼女は、1969年の映画「夜の大捜査線」で復活したばかりでしたから、彼女を起用すること自体、勇気のいる判断だったともいえます。(その後、彼女は1975年「シャンプー」で見事アカデミー助演女優賞を獲得しています)
 「黒のエチュード」の犯人役、ジョン・カサベテス John Cassavetes は、インデペンデント映画界の先駆者として多くの映画人に尊敬されてる人物です。(「こわれゆく女」、「フェイシズ」で二度アカデミー監督賞にもノミネートされています)自らの映画の監督として、ピーター・フォークと組んでいたことから、彼の依頼に答えて出演することになりました。俳優としても活躍していた彼ですが、テレビ・ドラマへの出演はこれが最初で最後だったと言われています。
 「悪の温室」の犯人レイ・ミランンド、Rey Milland は、映画「失われた週末」(1945年)でアカデミー主演男優賞を受賞している名優です。彼はロバート・カルプが犯人を演じた「指輪の爪あと」にもゲスト出演しています。
 「別れのワイン」のドナルド・プリーゼンス Donald Pleasence は、賞や人気には縁がないものの「大脱走」(1963年)、「ミクロの決死圏」(1966年)「007は二度死ぬ」(1967年)などで活躍した名脇役です。彼の存在なくして、シリーズ最高の感動作は生まれなかったでしょう。
 「白鳥の歌」の犯人役、ジョニー・キャッシュJohnny Cash は、カントリー界の大御所としてアメリカでは国民的アーティストのひとりでした。彼の波乱に富んだ人生を描いた映画「ウォーク・ザ・ライン/君に続く道」(2005年)をご覧になった方も多いでしょう。彼が俳優として出演したこと自体、「白鳥の歌」は画期的な作品でした。
 「ビデオ・テープの証言」の犯人役、オスカー・ウェルナー Oskar Wernner は、フランス映画界の巨匠フランソワ・トリュフォー作品「突然炎のごとく」や「華氏451」などに出演しているヨーロッパの名優です。(彼は映画「愚か者の船」でアカデミー主演男優賞にノミネートされています)
 「死者のメッセージ」で最高齢の女性犯人役となったルース・ゴードン Ruth Gordonは、アカデミー脚本賞に3度ノミネートされた脚本家でもあり「ローズ・マリーの赤ちゃん」でアカデミー助演女優賞を受賞している才女です。

<アカデミー賞とコロンボ>
 さらにアカデミー賞に関してみてみると、犯人役として出演した人物のアカデミー賞経歴はこうなります。
俳優名 作品タイトル(刑事コロンボ) 映画のタイトル アカデミー賞の種類
アン・バクスター 「偶然のレクイエム」 「剃刀の刃」 助演女優賞受賞
「イブの総て」 主演女優賞ノミネート
エディ・アルバート 「ホリスター将軍のコレクション」 「ローマの休日」 助演男優賞ノミネート
ジャッキー・クーパー 「野望の果て」 「チャンプ」 主演男優賞ノミネート
セオドア・バイケル 「殺しの序曲」 「手錠のままの脱獄」 助演男優賞ノミネート
ピーター・フォーク 全作品 「殺人会社」 助演男優賞ノミネート
「ポケット一杯の幸福」 助演男優賞ノミネート
フェイ・ダナウェイ 「恋におちたコロンボ」 「ネットワーク」 主演女優賞受賞
ホセ・ファーラー 「愛情の計算」 「シラノ・ド・ベルジュラック」 主演男優賞受賞
マーティン・ランドー 「二つの顔」 「タッカー」 助演男優賞ノミネート
「ウディ・アレンの重罪と軽罪」 助演男優賞ノミネート
「エド・ウッド」 助演男優賞受賞
リップ・トーン 「大当たりの死」 「クロス・クリーク」 助演男優賞ノミネート
リンゼイ・クローズ 「幻の娼婦」 「プレイス・イン・ザ・ハート」 助演女優賞ノミネート
ロバート・ヴォーン 「さらば提督」、「歌声の消えた海」 「都会のジャングル」 助演男優賞ノミネート
ローレンス・ハーベイ 「断たれた音」 「年上の女」 主演男優賞ノミネート

 その他、犯人役以外の俳優やスタッフにも大物が使われています。
役割 作品タイトル(刑事コロンボ) 映画のタイトル
イディス・ヘッド 本人役として出演 「偶像のレクイエム」 「イブの総て」他 アカデミー衣装デザイン賞8回受賞ノミネートは35回!
ウィリアム・ケリー 原案 「パイルD−3の壁」 「刑事ジョン・ブック 目撃者」 アカデミー脚本賞
キム・ハンター 俳優 「二枚のドガの絵」 「欲望という名の電車」 アカデミー助演女優賞
サリー・ケラーマン 俳優 「復讐を抱いて眠れ」 「マッシュ」 アカデミー助演女優賞ノミネート
ジョナサン・デミ 監督 「美食の報酬」 「羊たちの沈黙」 アカデミー監督賞
ジナ・ローランズ 俳優 「ビデオ・テープの証言」 「グロリア」 アカデミー主演女優賞ノミネート
「こわれゆく女」
スティーブン・スピルバーグ 監督 「構想の死角」 「シンドラーのリスト」 アカデミー監督賞
「プライベート・ライアン」 アカデミー監督賞
「ミュンヘン」「ET」
「レイダース失われたアーク」
「未知との遭遇」
アカデミー監督賞ノミネート
ディーン・ジャガー 俳優 「アリバイのダイヤル」 「頭上の敵機」 アカデミー助演男優賞
ドン・アメチ 俳優 「2枚のドガの絵」 「コクーン」 アカデミー助演男優賞
バート・ヤング 俳優 「死を呼ぶジグソー」 「ロッキー」 アカデミー助演男優賞ノミネート
ブレンダ・ヴァッカロ 俳優 「マリブ・ビーチ殺人事件」 「いくたびか美しく燃え」 ゴールデン・グローブ助演女優賞(アカデミーはノミネート)
マコ・岩松 俳優 「美食の報酬」 「砲艦サンパブロ」 アカデミー助演男優賞ノミネート
ライオネル・リンドン カメラマン 「死者の身代金」 「八十日間世界一周」 アカデミー撮影賞
ラッセル・L・メティ カメラマン 「構想の死角」 「スパルタカス」 アカデミー撮影賞
レイ・ラナハン カメラマン 「殺人処方箋」 「血と砂」 アカデミー撮影賞
ロッド・スタイガー 俳優 「奇妙な助っ人」 「夜の大捜査線」 アカデミー主演男優賞
「質屋」 アカデミー主演男優賞ノミネート
「波止場」 アカデミー助演男優賞


上記のスティーブン・スピルバーグ、ジョナサン・デミ以外にもこのシリーズには優れた監督たちが招かれています。それが、このシリーズのマンネリ化を防ぐ最大の原因だったのかもしれません。その他の有名な監督たちとしては、
 ポール・ニューマン主演のサスペンス映画の名作「動く標的」の監督ジャック・スマイトは「ホリスター将軍のコレクション」、西部劇「マーベリックの黄金」の監督サム・ワナメーカーは「迷子の兵隊」と「殺しの序曲」、SF映画の隠れた名作「いつかどこかで」を監督したヤノット・シュワルツは「毒のある花」と「ホリスター将軍のコレクション」、「ダーティー・ハリー2」、「続・猿の惑星」の監督テッド・ポストは「闘牛士の栄光」と「ハッサン・サラーの反乱」、ジョン・カサベテス作品の中心俳優ベン・ギャザラは「歌声の消えた海」と「権力の墓穴」、それにジョナサン・デミが「美食の報酬」、スティーブン・スピルバーグが「構想の死角」。それとピーター・フォーク自身も「パイルD−3の壁」。

<コロンボのキャラクター設定>
 この作品の最大の魅力はやはり主人公コロンボのキャラクターでしょう。このシリーズでは、それぞれの犯人は社会的、知的、経済的など多くの点でコロンボをはるかに上回る存在として描かれています。そして、そのギャップが大きいほど観客はコロンボに肩入れすることになり、解決時には大きなカタルシス(すっきり感)が得られる仕組みになっています。そして、そんな優秀な犯人のほとんどがコロンボという人物が道化役を演じている切れ者であることを途中で見抜き、最後には彼の能力に脱帽、賛辞の言葉を述べることになります。コロンボは「柔よく剛を制す」知的なスポーツともいえる刑事ドラマの主人公であると同時に赤穂浪士の大石内蔵助であり、「必殺仕置き人」の中村主人でもあります。もしかすると、このあたりが「刑事コロンボ」が判官びいきの日本人に好まれる最大の理由なのかもしれません。
 コロンボのキャラクターには他にもいくつかのこだわり、もしくは決めごとがあります。それはドラマの展開を不自由にしているともいえますが、そのおかげでこのシリーズは他の犯罪ものと一線を画することになったといえます。なかでも、最も重要なのはコロンボが銃を持っていないことでしょう。それはシリーズ4作目の「指輪の爪あと」で彼が拳銃探知機を通って証明されています。コロンボはもちろん逮捕に銃を用いませんが、それだけではなく、このシリーズには銃撃戦というものもほとんど出てきません。それは、このシリーズの製作者たちによる銃社会アメリカのあり方を否定するメッセージの表れともいえそうです。
 その他にも、「うちのカミサンを絶対に登場させない」とか「雨のないロサンゼルスにも関わらず常にレインコートを着ていること」「常に捜査には一人であたる」とか決まりごとは数々ありますが「銃を持たない」という決まりごとは、このドラマの最も重要な決めごとだと思います。

<追記> 先日(2010年2月)BS1でウィリアム・リンク氏のインタビューを見ました。彼によれば、コロンボのキャラクターの元になっているものとしてドストエフスキーの名作「罪と罰」があるそうです。その中の登場人物でペトローヴィチ予審判事というやり手の人物のキャラクターこそ、コロンボのキャラクターのもとになっているとのことです。今度もう一度読んで見なければ・・・。

<コロンボのドラマ設定>
 このシリーズのドラマ設定には他にもこだわりがあります。シリーズに登場する犯人、そのほとんどは白人のエスタブリッシュメントで、例外はごくわずかです。「ハッサン・サラーの反乱」のアラブ系の犯人と「闘牛士の栄光」のメキシコ人闘牛士だけです。ただし、ハッサン・サラーの殺人はアメリカの法律が及ぶ範囲外の大使館で起きたもの。それに闘牛士による殺人もコロンボの旅行先、メキシコで起きた事件です。あくまでコロンボが対するのは権力の側に立つエリートたちなのです。現実には、O・J・シンプソンのような黒人もいるので黒人の犯人がいてもおかしくないのですが・・・。

<オマージュとしての「刑事コロンボ」>
 コロンボ・シリーズは権力もしくは上流階級に対する闘争のドラマであると同時に、映画や芸術、演劇、ファッション、音楽、スポーツ、推理小説などへの愛情表現(オマージュ)のドラマであるといえます。例えば、・・・。
 「偶然のレクイエム」は、アカデミー作品賞受賞の名作「イブの総て」とその主演女優アン・バクスターへのオマージュ作品。
 「ロンドンの傘」は、推理小説の故郷であり、演劇の故郷でもあるイギリス、そしてシェークスピアへのオマージュ・
 「愛情の計算」は、SF映画の歴史的名作「禁断の惑星」など、SF映画へのオマージュ。
 「忘れられたスター」は、ヒッチコックの名作「サイコ」の女優ジャネット・リーと古き良きハリウッド映画へのオマージュ。
 「魔術師の幻想」は、フーディニを初めとする魔術師たちへのオマージュ。
 コロンボが初対面の容疑者に出会った際、必ずといえるほど、
「あたしゃ、昔からおたくの大ファンだったんですよ。まさか本当にお会い出来るなんて・・・」
この台詞は単に捜査上の作戦ではなく、このドラマ全体がもつ「愛情表現」を象徴するものなのかもしれません。
 このドラマの「愛情表現」は、俳優の選び方にも反映されているように思います。例えば、ニューヨークを中心とするインデペンデント映画に関わる人々に対するオマージュもそのひとつだと思います。
 ピーター・フォーク自身もそうした映画人の一人ですが、その他にも、女性監督の先駆けの一人アイダ・ルピノ、インデペンデント映画のアメリカにおける最大の功労者のひとりジョン・カサベテスとその仲間のベン・ギャザラ、妻のジナ・ローランズがそろって参加しているのは、他のドラマではありえないことです。その他、ピーター・フォークが出演した反戦映画の傑作「大反撃」(1969年)で共演したパトリック・オニールも「パイルD−3の壁」に出演しています。「赤狩り」によってアメリカを離れイギリスを活動拠点にせざるをえなくなった俳優、監督のサム・ワナメーカーもまたこのドラマに監督として参加しています。(「迷子の兵隊」「殺しの序曲」)

<「猿の惑星」とコロンボ>
 なぜかコロンボ・シリーズには、映画「猿の惑星」の俳優たちが数多く出演しています。もともと「猿の惑星」という作品は、「赤狩り」によって仕事を奪われた脚本家マイケル・ウィルソンによる政治的な寓話作品といわれています。それだけに、コロンボ・シリーズのもつリベラルな政治姿勢がそこに強く現れている気がしてなりません。
 「猿の惑星」のジーラ役キム・ハンターは「二枚のドガの絵」に出演していますが、彼女はかつて映画「欲望という名の電車」でアカデミー助演女優賞を受賞している大物女優でした。しかし、彼女もまた「赤狩り」の犠牲となり映画界を追放されていました。
 シリーズ8作目の「死の方程式」には、コーネリアス役で有名なロディ・マクドウォールが犯人役として出演していますが、この作品には他にも、ゴリラのウルサス将軍を演じたジェームス・グレゴリーが犯人に殺される役で出演。
 オランウータンの穏健派ザイアス博士を演じたモーリス・エヴァンスは「忘れられたスター」に出演。
 「新・猿の惑星」でアメリカの大統領を演じたウィリアム・ウィンダムも一作目の「殺人処方箋」に続き二度目の出演をしていました。
 「新・猿の惑星」と「猿の惑星・征服」でジーラとコーネリアスを助けるサーカス団の団長を演じたリカルド・モンタルバンは「闘牛士の栄光」で犯人の闘牛士を演じていました。同じく「新・猿の惑星」でジーラとコーネリアスを守ろうとする博士を演じたブラッドフォード・デイルマンは、「悪の温室」で殺され役として出演。同じ映画でドクター・マイロを演じたサル・ミネオも「ハッサン・サラーの反乱」に出演しています。
 そして、「続・猿の惑星」を監督したテッド・ポストも「闘牛士の栄光」と「ハッサン・サラーの反乱」を監督しているのです。

<ヒチコックとコロンボ>
 本格ミステリー作品のコロンボですから、当然ヒッチコック作品へのオマージュもあり、多くのヒッチコック作品の役者が登場しています。
「ダイヤルMを廻せ」のレイ・ミランドは「悪の温室」に出演。「私は告白する」のアン・バクスターは「偶像のレクイエム」。「北北西に進路を取れ」からはマーチン・ランドー。「サイコ」からは、ヴェラ・マイルズが「毒のある花」に、ジャネット・リーが「忘れられたスター」に出演。「鳥」からはスイザンヌ・プレシェットが「ホリスター将軍のコレクション」。さらには「逃走迷路」の犯人役で有名なノーマン・ロイドが「もうひとつの鍵」の監督として参加しています。

<ピーター・フォークとコロンボ>
 このドラマの主人公コロンボを演じたピーター・フォーク Peter Michael Falkは、1927年9月16日ニューヨークの下町ブルックリンに生まれています。両親は東欧からの移民でユダヤ系。食料品店などを経営する比較的裕福な家庭で育てられました。3歳の時、片目が腫瘍に冒されてしることがわかり、彼は眼球の摘出手術を受け、義眼となります。
 しかし、頭も良くスポーツ万能だった彼は常に学校ではトップクラスの成績でした。「刑事コロンボ」で時おり垣間見せたスポーツの腕前は本物だったのです。(素晴らしいゴルフのスウィング、ビリヤードの腕前、それに真珠を指ではじくテクニック・・・)彼は頭の良さも半端ではありませんでした。彼は一度大学を卒業した後、ヨーロッパを放浪して戻り、今度は名門のシラキュース大学に入学します。そして、そこで政府の高級官僚を育成するための行政学講座で定員はわずか30名という狭き門だったといます。(行政学の分野では現在でも全米一のランクだったといいます)刑事コロンボの切れ者ぶりは、本物の方が上であり、もしかすると彼自身がコロンボと対決するアメリカン・エスタブリッシュメントの側になっていたかもしれないのです。
 シラキュース大学を卒業した彼は、軍や官庁に勤め、さらなる高級官僚への道を歩もうと、CIA職員に応募します。ところが、CIAの本部で面接に望んだ彼は衝撃を受けることになりました。面接官は彼にCIAには絶対に就職できないだろうと告げたのです。その理由は、彼がかつて船員として働いていた時に組合に入っていたことがひとつ、そして彼がかつて友人と共産圏のユーゴスラビアに密入国して旅行していたことがばれていたからでした。共産圏を旅して来たということは、ロシア側のスパイである可能性があると考えられるためCIAどことか国の中枢部には生涯就職することはできないだろうと言われたのです。これもまた「赤狩り」のひとつでした。そうなると、もう彼には普通の企業への就職しかないことになります。そんな失意の状況で彼は大学時代に関わった演劇に再び興味をもつようになります。こうして彼は、エリートへの道をあきらめ、演劇にかける決意を固めたのです。
 1956年オフ・ブロードウェイの舞台に立ち始めた彼は、その後ブロードウェイに進出。舞台劇「Saint Joan」の演技が高い評価を受けた彼は、1958年ワーナー・ブラザースの作品「Wild across the Everglades」で映画デビューを果たします。個性派俳優として注目されるようになった彼は「殺人会社」(1960年)、「ポケット一杯の幸福」(1961年)で2年連続でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされました。その後、テレビでも活躍するようになった彼は「トマとの値段」(1961年)でエミー賞の主演男優賞を受賞しています。その他の出演作としては、「おかしなおかしなおかしな世界」(1963年)、「七人の愚連隊」(1964年)、「グレート・レース」(1965年)、「アンツィオ大作戦」(1967年)、「大反撃」(1969年)、「名探偵登場」(1976年)、「こわれゆく女」(1974年)、「ベルリン天使の詩」(1987年)、「NEXT](2007年)などがあります。
 ジョン・カサベテス監督の「こわれゆく女」などインデペンデント映画でのシリアスな役柄。
 ニール・サイモン脚本の「名探偵登場」のようなパロディー映画でのコメディー・タッチの役柄。(この映画で彼の役は私立探偵サム・スペードのパロディーでした)
 ドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督の傑作「ベルリン 天使の詩」ではなんと彼自身を演じています。(この作品は「刑事コロンボ」へのオマージュでもありました)
彼の役どころは幅広く、けっして「刑事コロンボ」的な役は演じていませんでした。多くの俳優が出世作のイメージによって、その後の役柄を狭められてしまったのに比べると、彼は自由に役柄を選び、俳優としての仕事を楽しんだように思えます。それもまた彼の俳優としての実力と頭の良さから来ているように思います。

<隠されたコロンボのキャラクター>
 刑事コロンボのキャラクターとピーター・フォークは別物かもしれません。故小池朝雄氏による吹き替えのコロンボの声とピーター・フォークの実際の声はかなり違います。それでもなお、コロンボとピーター・フォークのキャラクターは、きっと近いに違いない。僕にはそう思えます。かつてピーター・フォークは大西洋を横断する船に乗りコックとして働いていた経験があり、船酔いなどまったくしないはずです。当然、「ホリスター将軍のコレクション」での船酔いは演技だったわけですが、本当は「船酔いするコロンボ」という設定自体もコロンボが自ら演出していたとも考えられます。
 コロンボが対決したどの犯人にも負けない頭脳の持ち主、それがコロンボを演じていたピーター・フォークという人間だった。そう考えると、刑事コロンボが隠していた爪はそのままピーター・フォーク自身が隠していた爪でもあったのだと思えてきます。「刑事コロンボ」とは、実はピーター・フォークそのものだったのかもしれないと思えるのです。
 「刑事コロンボ」の主役は、毎回登場する個性的な犯人役の俳優たちであり、彼とコロンボとの演技合戦こそが最大の見所です。しかし、刑事コロンボが犯人逮捕に一度も失敗しなかったように、どんなに魅力的な相手役と共演しても、けっしてコロンボが喰われることはありませんでした。
 最後に、僕が「刑事コロンボ」の中でも特に大好きな場面を・・・。
「ロンドンの傘」でコロンボがロンドン市内をカメラ片手に子供のように駆け回る台詞のない場面です。まるでドキュメンタリー映画のようなこの場面での彼の愛らしさ、好奇心丸出しの表情は、刑事コロンボの憎めないキャラクターそのままであり、たぶんピーター・フォーク自身の好奇心丸出しの生き方を象徴しているようにも思えるのです。誰もがコロンボを愛した理由はそこにすべて凝縮されているように思えます。
 それと「別れのワイン」のラスト・シーン。普通なら犯人を逮捕した時点で終わるところが、車を止めてコロンボが持参したデザート・ワインで乾杯する場面。まるで極上のワインを味わうようなヨーロッパ映画のような深みのあるラスト・シーンでした。カリフォルニアがアメリカでも珍しいワインの産地でもあることから、このドラマがもつヨーロッパ的な味わいが見事に生かされ、コロンボ・シリーズにおける名作中の名作が生まれました。そう考えると、コロンボの魅力はハリウッドを舞台にしながらも、けっしてアメリカ的ではなくヨーロッパ的なセンスによって生み出されたといえるのかもしれません。
「コロンボよ!永遠なれ!」

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