- エリック・クラプトン Eric Clapton -

2003年1月13日改訂

<ブルースとともに歩んだ人生>
 エリック・クラプトンの人生は、苦難に満ちた旅を思わせます。それは、「ブルースの魂を求める旅」であり、「恋焦がれる女性を追い求める旅」、「どん底の人生からはい上がる旅」でもあります。彼の人生は、多くのミュージシャンや何人かの美しい女性たちとの出会いと別れの繰り替えしでもありました。だからこそ、彼が生みだした音楽には、常にその時々の彼の思いが込められ、それが多くの人々の心を打ってきたのでしょう。
 かつては、多くのファンが「いとしのレイラ」に涙しました。最近では、「チェンジ・ザ・ワールド」に胸うたれ、ファンになった人も多いでしょう。
 彼ほどミュージシャンとしてのテクニックだけでなく、一人の人間としての魅力でファンを引きつけてきたアーティストも珍しいかもしれません。それは、ブルースの先輩たちの境地に達しようと苦闘する姿や恋の苦しみを歌に込めたその姿が、多くのファンの心を打ったからです。そこには、人生に苦しむ人間の姿があります。そして、それこそが彼が追い求めていた「ブルースの真実」だったのです。

<苦しみの人生の始まり>
 エリック・クラプトンの人生の苦しみの原点は、その出生の秘密にありました。彼は、母親であるパトリシア・モリー・クラプトンがイギリスに駐留していたカナダの兵隊との間につくった子供でした。しかし、二人は結局結婚せず、母親は別の男性とドイツで結婚してしまい、エリックは祖父母のもとに残されました。(この生い立ちは、同じように両親によって叔母に預けられて育ったジョン・レノンの子供時代とよく似ています)彼は、この事実を隠そうとする家族とそのことで自分を見下す社会への怒りを胸に青春時代を過ごすことになりました。そしてその気持ちが、当時若者の怒りの表現手段でもあったロックン・ロールという音楽へと彼を向かわせ、「ロックン・ロールの根はブルースにある」というレコードに書かれていた言葉との出会いによって、サニー・ボーイ・ウィリアムソンバディ・ガイを経由して、ロバート・ジョンソンへとのめり込む「ブルースの旅」へと出発するきっかけになったのです。

<ブルースの魂を求めて>
 こうして、クラプトンはブルースの求道者としての道を歩み始め、多くのブルース・バンドを渡り歩くことになります。ルースターズ、ケイシー・ジョーンズ&エンジニアーズ、ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー、デレク&ザ・ドミノスなど。当時の彼は、バンドがブルース路線からはずれることを認めず、ちょっとでもポップス路線に走ったり、ジャズなど他の音楽の要素を導入したりすると、すぐにバンドを去ってしまいました。

<ブルースの神々との出会い>
 こうして彼はブルースの求道者としての道を歩みながら、何人もの偉大なブルースの神々と共演する機会を得ました。フレディー・キング、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、マディー・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、バディ・ガイなど、彼ほどブルースマンたちと共演した白人アーティストは、たぶん他にはいないでしょう。彼は、ブルースの伝説を生で見ることのできた貴重な生き証人でもあるのです。

<いとしのレイラを求めて>
 クラプトンとビートルズのジョージ・ハリスン、そしてジョージの妻だったパティー・ボイドとの三角関係は、1970年に「いとしのレイラ」という永遠の名曲を生んだことで、ロック界で最も有名な恋の物語となりました。
 この失恋の痛手により、クラプトンはヘロイン中毒の泥沼にはまってしまいます。そこへ追い打ちをかけるようにジミ・ヘンドリックスの麻薬による死亡が伝えられ、彼はいよいよその地獄から抜け出せなくなってしまいます。彼は、ほぼ3年近くいっさいの演奏活動から遠ざかってしまいました。この時、もしザ・フーピート・タウンゼントが彼を助け出しにクラプトンの別荘を訪れていなければ、たぶんクラプトンは80年代まで生き続けることはできなかったはずです。

<安息の地を求めて>
 1974年発表の「461オーシャン・ブールバード」から、クラプトンの復活劇は始まります。このアルバムで、彼はレゲエという新しいサウンドと出会っています。ボブ・マーリーのカバー曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の大ヒットは、レゲエの存在を世界中に知らしめる重要な役目を果たし、次の作品「安息の地を求めて」(1975年発表)では、レゲエの本場ジャマイカでの録音を敢行、ウェイラーズのメンバーでもあったピーター・トッシュとの共演も実現しました。続く作品「スロー・ハンド」(1977年)「バックレス」(1978年)では、さらにそのリラックス度を増し(南部のベテラン・シンガー・ソングライター、「元祖レイドバック・ミュージシャン」J.J.ケールの影響が大きい)、そんなサウンドを指す言葉、「レイドバック・サウンド」は、流行後ともなりました。クラプトンは、ジョージ・ハリスンとの離婚が成立したパティ・ボイドとついに結婚し、「ブルースとの絆」はついに断ち切れたかとも思われました。しかし、彼の人生とブルースは、そう簡単に断ち切れるものではありませんでした。ついに思いを成し遂げたはずの、パティ・ボイドとの結婚も結局長くは続かなかったのです。今度は彼はアルコール中毒との闘いをするはめになってしまいます。

<復活、そしてブルースとの折り合い>
 1989年「ジャーニーマン」で、再びクラプトンは、ブルースとR&Bの世界に帰ってきました。しかし、その作品は今までよりずっと明るく希望に満ちたものでした。彼の得た心の平安は明らかでした。続いて発表されたアルバム1992年発表の「アンプラグド」は、大ヒットアルバムとなっただけでなく、その後しばらく音楽業界に「アンプラグド・ブーム」(アコースティック楽器による録音)を巻き起こすことになります。さらにその大ヒットのご褒美として、クラプトンには以前からの夢だったブルース・ナンバーのみのアルバム「フロム・ザ・クレードル」を制作するチャンスが与えられました。苦節50年クラプトンはついにブルースとの折り合いをつけたのかもしれません。

<男が惚れる男>
 クラプトンはブルースという音楽の枠を越えて、実に多くのミュージシャンとの交流を行ってきました。ボブ・ディランジミ・ヘンドリックス、J.J.ケール、ジョージ・ハリソン、デュアン・オールマンボブ・マーリー、ロニー・レイン、レオン・ラッセル、ロバート・クレイ、ピート・タウンゼントザ・バンドなど、たぶん彼は、「男が惚れる男」の典型なのでしょう。そういう男に限って、女性とは上手く行かないもの。だからこそ、彼はあんないい男でありながら、あんなに素晴らしいギタリストでありながら、恋に苦しみ、そこからあれだけ素晴らしいブルース・ナンバーを生みだしてきたのかもしれません?
 現在交際中と言われるシュリル・クロウとの関係がもし上手く行くとしたら、それは二人が男と女ではなく、優れたギタリスト仲間としての関係だからだと僕は勝手に思いたい。(結局、彼は別の女性と結婚したようです。その方が良かったのでしょう・・・2003年1月時点の話しですが)

<締めのお言葉>
「おまえはこの愛の苦悩を僕の死と呼ぶかもしれないが、それこそ僕の生命だ。…」

「トリスタンとイゾルデ」より

<参考資料>
「ロック伝説」ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)
CDボックス・セット「CROSSROADS」ライナーなど

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