- エルヴィス・プレスリー Elvis Presley -

<アメリカの象徴としての存在>
 エルヴィス・プレスリーほどロックの歴史に大きな影響を与えた白人アーティストは、ビートルズとボブ・ディランくらいでしょう。彼はロックという新しい音楽の歴史を切り開いただけでなく、1950年代のアメリカ文化を根本的に変える重要な役割を果たしました。だからこそ、彼は死んでなおアメリカ文化の象徴として、いつまでも語り継がれているのです。(良きにつけ、悪しきにつけ)
 ただ彼は、基本的に人の良い好青年であり、挑戦的に自分を変えたり、より優れた作品を生み出す努力をし続ける貪欲さや才能に欠けていたようです。そのため、自らが生みだしたロックン・ロールのスタイルを変えることも、越えることもできず、彼のマネージャー、トム・パーカー大佐の指示とおりにエンター・テナーの道を、ボロボロの肉体を引きずりながら歩み続け、42歳という若さで、その生涯を終えてしまったのです。

<誰よりも黒人マニアの青年>
 エルヴィス・プレスリーは、1935年、ミシシッピー州のテュペロに生まれました。小さな頃から聖歌隊でゴスペルを歌っていた彼は、しだいにブルースにのめり込むようになり、高校時代にはメンフィスの歓楽街であり、当時の黒人文化の最先端ビール・ストリートに入り浸るようになっていました。
 その頃の彼は、まさにヒップな黒人のフォロワーでド派手なジャケットに襟の大きなピンクやグリーンのシャツを着込み、なおかつ髪の毛はロイヤル・クラウン・ポマードという黒人たちの使うギトギトの油でオールバックに固め、街を闊歩していたといいます。

<サム・フィリップスとの出会い>
 1953年に高校を卒業した彼はトラックの運転手となり、ある日メンフィスサン・スタジオで母親のために誕生日のお祝いとして歌を録音しました。それが、たまたまスタジオの主催者サム・フィリップスの耳に入ります。サム・フィリップスは、以前からブルースやR&Bを歌いこなすことができる白人歌手を探していました。もし、それができる歌手がいたら、必ず全米にブームを巻き起こすことができると確信していたのです。そして、エルヴィスこそ、そんな彼が探していた歌手だったのです。

<デビューからブレイクまで>
 こうして、エルヴィスは1954年プロ・デビューのチャンスをつかみました。サムの予想通り、エルヴィスの評判は少しずつ広まり、1956年「ハート・ブレイク・ホテル」が全米ナンバー1に輝くと、彼は一気に全米の白人青年達のアイドルになってしまいます。しかし、それは同時に全米の大人たちを敵に回すことでもありました。当時、「反抗する若者たち」は、時代を象徴する存在になりつつあり、大人たちにとって、見過ごすわけにはゆかない存在となっていました。エルヴィス以外にも、映画界のジェームス・ディーンマーロン・ブランドも同じく反抗する若者たちの代表として、大人たちの眉をひそめさせる存在となっていましたが、彼は「反抗する若者たち」の代表であるだけでなく、白人でありながら、黒人の下品な文化、R&Bに取り憑かれている、それがまた大人たちの反感をかったのです。

<白人R&B歌手の常識を覆した男>
 当時、R&Bを歌う白人歌手は、すでに珍しくはありませんでした。しかし、彼らのほとんどはペリー・コモ、フランク・シナトラ、パット・ブーンなどに代表されるように、あくまでR&Bをソフトな白人向けポップスとして歌っており、白人らしさを売りにしたものばかりでした。ところが、エルヴィスはまったく正反対の歌い方をしました。彼は、徹底的に黒人らしさを売り物にしたのです。このエルヴィスが体現してみせた180度の方向転換こそ、ロックの世界だけでなく、社会全体をも大きく揺るがす革命的な出来事だったのです。

<テレビとエルヴィス>
 このエルヴィスの革命が全米を一気に揺るがすにあたって、大きな役割を果たしたものがあります。それは、当時普及し始めたばかりのテレビの存在でした。エルヴィスの歌は、それまでの白人アーティストたちに比べるとあまりに黒人っぽかったので、ラジオで聴いた多くの聴衆は、初め彼は黒人だと思っていたほどです。しかし、彼がテレビ画面に登場し、そこで「ハウンド・ドッグ」「ザッツ・オールライト・ママ」を歌ったことで、世の人々は間違いなく彼の存在を知り、白人青年による黒人たちの歌の模倣という衝撃的な出来事を目の当たりにすることになったのです。まして、テレビ画面では、エルヴィスは歌だけでなく、腰を激しく動かす黒人ならではのダンスも披露、これがまた、多くの白人の大人たちの反感を買うことになります。(テレビ局によっては、彼の歌う姿は上半身のみしか映さなかったほどです・・・)

<リーバー&ストーラーとエルヴィス>
 エルヴィスが歌った「ハウンド・ドッグ」は、元々黒人女性R&Bシンガー、ビッグ・ママ・ソーントンの歌でしたが、実はこの曲は白人によって作られていました。ジェリー・リーバーマイク・ストーラの白人ソング・ライター・コンビ、彼らこそR&Bを白人たちの間に広めた最大の貢献者でした。彼らの話しも、かなり面白そうなのですが、それはまた別の機会に。

<エルヴィス、全米を制覇>
 当然、テレビ局は当初エルヴィスのテレビ出演に消極的でした。エルヴィスがテレビで腰を振るシーンが公開された時の世論の反発を恐れたのです。しかし、テレビがやっとお茶の間に広がり始めたこの時期は、まだまだ放映するプログラムが少なく、まして若者たちに受け入れられる人気番組は、数が限られていました。そんな中、音楽番組は、予算も少なく、口パクを使えば簡単に制作できる人気プログラムだったのです。あとは、視聴者が見たいアーティストを出演させれば良いのです。そこで、フランク・シナトラアンディ・ウィリアムスパット・ブーントニー・ベネットなどのエンター・テナーを中心とする音楽番組が、次々に登場しました。しかし、本当に若者たちが見たがっているのは、今やエルヴィスであることは明らかでした。先ずその先鞭を付けたのは「ドーシー・ブラザース・ショー」でした。そして、このプログラムの成功をきっかけに各番組がこぞってエルヴィスを出演させるようになって行きます。今や、エルヴィスを出演させない番組は時代遅れとなったのです。そして、ついにそれまで、がんとしてエルヴィスを出演させなかった「エド・サリバン・ショー」にも、エルヴィスが登場し、エルヴィスの全米制覇が完成しました。この瞬間は同時に、ロックン・ロールが白人社会にひとつの文化として定着した瞬間でもあったのです。

<エルヴィスのその後>
 エルヴィスにとっての栄光の瞬間は、皮肉なことに彼が「反抗する若者たち」のヒーローであった時代の終わりでもありました。彼は、その瞬間から全米一有名なエンター・テナーとなったのです。したがって、この後彼が映画俳優として活躍し、ラスベガスやハワイのステージで世界最高のエンター・テナーとして活躍する道を選択したトム・パーカー大佐の判断は、ある意味では正しかったのかもしれません。それに彼は、あらゆる商売のネタになる「金のなる木」になったアメリカ初のアイドル・タレントでもあったのですから。(これもまた画期的なことでした)
 エルヴィスは、あまりに後日談が長すぎた英雄だったのかもしれません。わずか42歳の若さで死んだにも関わらず、まるで90歳まで歌い続けたかのような印象を与えたのは、やはり頂点を迎えたわずか数年の出来事が、あまりに急激であったため、その後の時の流れが突然スピード・ダウンして見えたからなのではないでしょうか?(もちろん、お腹についたお肉もその印象に拍車をかけたかもしれませんが・・・)

<締めのお言葉>
「商品は名前だけ売れればみんなレッテルで買うようになる」
「大衆って何だ。テレビの前に座ったままで、ぶくぶく太って居眠りしている連中じゃないか」
「自尊心で飯が食えると思うのか」

映画「殴られる男」より(マーク・ロブスン監督、フィリップ・ヨーダン脚色)

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