「グラン・ブルー Le Grand Bleu 」 1988年

- リュック・ベッソン Luc Besson -

<スキューバ・ダイビング>
 この映画が公開された頃、僕はスキューバ・ダイビングにどっぷりはまっていました。今思えば、時代はバブル。スキューバ・ダイビングはその時代のトレンドのスポーツとして大きなブームになろうとしていました。たまたま彼女に誘われてスキューバ・ダイビングにはまってしまった僕は、月に2回は伊豆大島や東伊豆の海洋公園まで北埼玉から潜りに行っていたものですが、一時はインストラクターを目指そうとも思い、ダイビング・ツアーの手伝いをしていたこともありました。当然、この映画にも「はまる」ことになり、その頃のダイビング仲間たちに向けて僕が作った幻のミニコミ誌には「グレート・ブルー」というこの映画の英語版タイトルをつけてしまったほどです。この映画は、そんな幸福だったバブル時代の匂いも感じさせてくれる懐かしい作品でもあります。
 その後、僕は北海道に戻り、以前ほどスキューバには行かなくなりましたが、素潜りの練習はプールでよくしたものです。この映画のモデルとなったジャック・マイヨールの呼吸法をマネしたりしながら水中に3分以上潜れるようになり、かってにジャック・マイヨールの弟子のつもりになっていました。

<カルト化された理由>
 考えてみると、僕のようなダイビング・マニアは当時まだごくわずかでした。にも関わらず、この映画は世界中で愛されカルト・ムービーの仲間入りをしました。確かに当時スキューバ・ダイビングの人気は一大ブームになろうとしていましたから、その影響もあったのでしょう。「いやし」という言葉がもてはやされるようになり、その「いやし」の象徴として海がもてはやされるようになったのもこの頃でした。しかし、海の映画は他にもあります。ましてこの映画は、けっしてハラハラ・ドキドキのストーリー展開があるわけではなく、驚くようなアクション・シーンもCG合成のシーンもなあく、涙なしに見られない作品というわけでもありません。この映画の魅力の秘密はどこにあるのでしょう?実際、この映画の日本初公開時、観客はまったく入らず、すぐに公開は打ち切られています。ただその映画を見た中のわずかの人々が熱狂的ファンとなり、フランスで公開されていたロングヴァージョンの公開を求める動きが広がり、それが大きなブームを生み出すことになったのです。(もちろん、僕は初公開時に見に行って、はまった一人です)
 たぶんそれは、この映画が海のもつ本質的な魅力、古代から人々を海に向かわせた魔力のようなものを作品化するのに成功しているからではないでしょうか。その意味では、昔から海との付き合いが長い日本人にとっては、「つぼ」にはまる映画だったのかもしれません。
 美しい海に潜ると、時に人はその魅力に引き込まれ、どこまでも深く潜ってみたいという誘惑に負けそうになることがあります。(これは海だけではなく、未知なる存在すべてが持つ誘惑かもしれませんが・・・)これ以上潜ると、帰り道にブラック・アウト(酸欠で気絶してしまうこと)してしまうかもしれない。でも、あと少しだけ海の底に近づいてみたい・・・。この思いを拡張して一本の映画にしたのがこの作品だったように思います。

<リュック・ベッソン>
 この映画の監督リュック・ベッソン Luc Bessonは1959年3月18日、パリで生まれています。しかし、彼はけっして都会っ子ではなく、もともと海への熱い思いを誰よりも強くもつ少年でした。彼の両親がダイビングのインストラクターで幼い頃から海に潜っていた彼にとって、両親と同じ仕事につくことは早くからの夢でもあったのです。しかし、彼はダイビング中の事故により、スキューバ・ダイビングをやりたくてもできない身体になってしまいました。こうして、プロのダイバーになる夢を断たれた彼は、それに変わる夢として映画を作る道へと進むことになったのです。
 17歳で高校を中退した彼は、映画作りの道を歩むため、アメリカに渡り、ミュージック・ビデオ制作の現場で修行を積んだ後、パリに戻り本格的に映画作りの道を歩み始めました。
 それでも彼は、潜水器材を使用しない素潜り(フリー・ダインビング)に関しては問題なくできる身体だったため、相変わらず海には出かけていました。そして、1984年に初めてジャック・マイヨールに出会うとその魅力にひかれ、フリー・ダイビングについての映画を撮ることを決意しました。
 すでにこの時、彼はデビュー作の「最後の戦い」(1983年)がアボリアッツ映画祭で審査委員特別賞と批評家賞を撮るなど世界中で高い評価を得て、2作目の「サブウェイ」の撮影に入っているところでした。
 デビュー当初からフランス国内だけでなく世界中に通用する娯楽映画作りを目指していた彼は、アメリカとのパイプが太く、さっそく彼の企画は俳優兼プロデューサー兼監督として有名なウォーレン・ビーティに気に入られることになりました。「俺たちに明日はない」以来「シャンプー」や「レッズ」など話題作を生み出し続けてきたビーティが製作するということで映画化の実現性は高まったものの、いつの間にか主導権をビーティ側が握ってしまい、ベッソンが知らないうちにフォックスが映画化権を買い取るところまで話が進んでいました。驚いたベッソンと当初から企画を扱っていたフランスのデーモン社は裁判によって映画化権を取り戻すことになりました。こうして、フランスのゴーモン社が製作を担当することで映画化はスタートしましたが、今度は主役を決めるのにまた時間を要することになりました。

<映画化に向けて>
 当時、人気絶頂だったミッキー・ロークが主役を志願しましたが、どうみても海のイメージではなくシュノーケルよりは葉巻をくわえるタイプということで却下されました。他の候補者が挙がったものの、水中撮影が怖いとしり込みして断られ、そのうちにエンゾ役に決定していたジャン・レノが英語での演技に自信がもてず現場から失踪するなどトラブルが続きました。一時は、ベッソン自身が主役を演じるべきだという提案も出されていたといいますが、ついにジャン・マルク・バールが主役に決定しました。

<撮影開始>
 こうしてやっと「グラン・ブルー」は動き始めたのでした。といっても、この映画はスタジオに俳優陣が集まればすぐに撮れるというものではありませんでした。海こそがこの映画の主役であり、それぞれの場面で最高の表情を見せてくれる「海の映像」が必要とされたのです。こうして、撮影チームは脚本に描かれている海にぴったりの場所を求めて世界中を旅しながら撮影を行うことになりました。(この時に行われた海の撮影の延長から生まれた映画が後に海洋ドキュメンタリー映画「アトランティス」になります)
 ジャックとエンゾにとっての原点となったシチリアの海はもちろん、ギリシア、ヴァージン諸島、南仏ル・ラヴァンドゥー、コルシカ島、それにペルーのチチカカ湖やモルジブなど、世界各地の海で撮影が行われ、撮影チームは9ヶ月に渡る撮影の旅を敢行することになりました。こうして撮られた数々の海の表情は、時には「お熱いのがお好き」のマリリン・モンローの熱い唇のように、時には「ミザリー」のキャシー・ベイツのように狂気に満ち、見る者をとらえて離さない魅力をもっていました。
 人類は進化の途中で一度海に入り、そこで二足歩行や道具の使用を身につけたという説があります。だからこそ、人類は進化の原点が海の中の原始生命体にあり、体内のほとんどは水(海水)でできており、生まれる前は母親の羊水という小さな海の中で育てられているのです。「グラン・ブルー」は人類すべてがもつ胎内回帰願望に密かに訴えかけることで大きなヒットとなったのかもしれません。イルカの存在は、そんな胎内回帰願望の仲介者であり、案内者でもあるのでしょう。

<恋多きジャックとリュック>
 ところで、リュク・ベッソンとジャック・マイヨールは「海」ともうひとつ「女性にもてる」ことでもつながっていたようです。ジャックが世界各地のダイビング・ポイントに彼女がいたのは有名な話ですが、リュック・ベッソンの場合はそれが映画の現場といえそうです。
 「ニキータ」のヒロイン、アンヌ・パリローと結婚したかと思えば、すぐに離婚した彼は、その後「フィフス・エレメント」のヒロイン、ミラ・ジョボビッチと結婚しています。カメラを回しているうちに惚れてしまったのか、好きなタイプだから主役に抜擢していたのか、どちらにしてもたいしたものです。こうした彼の自由奔放な生き方もまたジャック・マイヨールと共通しているように思えます。

<さらなる夢の実現「アトランティス」>
 1991年、彼はさらなる夢の実現としてドキュメンタりー映画「アトランティス」を撮りました。この映画は、映像による海の中への旅であると同時に、夢の中への旅でもあり、映像と音楽によって僕たちを海の中だけでなく生命の源である細胞内の原始の記憶にまでさかのぼらせてくれる作品です。その点で、この作品をドキュメンタリー映画ととらえるのは間違いのような気もします。
 それは、優雅な動きをみせるマンタ主演の壮大なオペラであり、ガラパゴスに住むペンギン、イグアナ、オットセイたちによるにぎやかなスラップスティック・コメディーであり、驚異のダンサー、イルカたちによって演じられるスピード感にあふれたダンス・ショーであり、凶暴なホオジロザメが演じるサスペンス・ホラーであり、北極の氷の下で展開される美しきファッション・ショーであり、巨大なジンベエザメによる偉大なる海の神の行進でもあります。
 それは海の中という千変万化の舞台で繰り広げられるバラエティーにとんだエンターテイメントの集大成、もしくはオムニバス映画ということになるのでしょう。どれもセリフのないサイレント映画ですが、まるでミュージカル映画のように音楽と映像が一体となって雄弁に語ってくれています。
 そして、この映画こそ、映画監督リュック・ベッソンと作曲家エリック・セラにとってもまた一つの頂点を示す映画といえそうです。

<幸福なる撮影>
 「アトランティス」の撮影は、1989年5月ガラパゴス諸島から始まりました。彼は4人のダイバー兼スタッフとともに撮影資材を積み込んだ船に乗り込み、一年以上かけて世界の海を旅しながら自らの求める映像を撮り続けました。もしかすると、彼にとってはこの旅こそが最大の喜びであり、その映画化はおまけに過ぎなかったのかもしれません。
 自然に満ちた秘境ガラパゴス諸島、海の王国ニューカレドニア、珊瑚の世界オーストラリア、戦争の危険が残る紅海、氷の下に広がる北極海、生命にあふれたポリネシア、セイシェルの海と1990年11月まで続いた撮影の後、編集された作品に最後にさらなる魂を吹き込んだのが音楽担当のエリック・セラ Eric Serraでした。

<エリック・セラ Eric Serra>
 リュック・ベッソンがダイバーの父に育てられたのに対し、エリック・セラは音楽家の父によって育てられ、5歳でギターを弾き始めたという天才少年でした。その後、15歳でジャズ系のロック・バンドを結成し、数多くのアルバムに参加しながら作曲家としての活動をするようになります。そして、ベッソンの「最後の戦い」の音楽を担当。その後リュック・ベッソンの作品にとって彼の音楽はなくてはならない存在となって行きます。セリフのないこの作品は、エリック・セラにとり、それまでのどの作品よりも音楽にかかる比重が高く、やりがいのあるものでした。さらに彼にとっては、この作品は初めてオーケストラ(ロンドン・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)を用いたスケールの大きな作品でもありました。

<海へのいざない>
 海への熱い思いを描くという夢を実現したリュック・ベッソンは、その後多くのヒット作を撮り、映画界におけるやりたいことも終えて、映画界を引退するといいます。彼は再び海へと帰るのでしょうか?羨ましい限りです。

Welcome To Atlantis ようこそ、アトランティスへ
「それはひとつの童の夢
 それは魚になった人間の夢
 それは人間のいない水の下の人生」

リュック・ベッソン

「グラン・ブルー Le Grand Bleu」 1988年
(監)(原)(脚)リュック・ベッソン
(製)パトリス・ルドゥー
(共脚)ロバート・ガーラント
(撮)カルロ・ヴァリーニ
(音)エリック・セラ
(製作顧問)ジャック・マイヨール
(出)ジャン=マルク・バール
   ロザンナ・アークェット
   ジャン・レノ

<あらすじ>
 ジャック・マイヨール(ジャン・マルク・バール)とエンゾ・モリナーリ(ジャン・レノ)は、少年時代から素潜りの腕を競い合うライバルでしたが、大人になって再びフリー・ダイビングの競技会で再会します。器材を用いずにどこまで潜ることができるかを競い合う、フリー・ダイビングの世界チャンピオンを目指す二人は、この後何度も海で競う合うことになりますが、ある大会でエンゾが事故で命を落としてしまいます。エンゾの死に大きなショックを受けた彼でしたが、悲しみを乗り越えて見事世界記録を樹立することになります。しかし、ジャックには記録とは別に海にひかれる別の理由がありました。それは、水族館で出会ったイルカとともに水の中の世界を泳ぎ回る喜びでした。それは彼女であるジョアンナ(ロザンナ・アークェット)との関係よりも深いものになりつつありました。いったい何が彼をそこまで引き込むのか?

「アトランティス Atlantis」 フランス映画 1991年(日本公開1992年)
(監)(撮)リュック・ベッソン Luc Besson
(製)クロード・ベッソン Claude Besson
(音)エリック・セラ Eric Serra
(撮)クリスチャン・ペトロン Christian Petron
(潜水監督)ジャン・マルク・バール Jean Marc Bour

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