「めぐりあう時間たち The Hours」(小説、映画)

- マイケル・カニンガム Michael Cunningham ,
スティーブン・ダルドリー Stephen Daldry -

<映画「めぐりあう時間たち」>
 この小説の映画版では、ヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンがアカデミー賞の主演女優賞を受賞、そしてベルリン映画祭ではニコールとメリル・ストリープ、ジュリン・ムーアの3人で銀熊賞を受賞しています。小説は読んでいなくても映画版を見ているという方も多いでしょう。先日、久しぶりに映画をテレビで見る機会があったので、それに合わせて小説も読んだ見ました。
 このページでは、「めぐりあう時間たち」について、時間軸にそって3つの物語を比べながらじっくりと整理してみようと思います。
以下に小説の章ごとに区切りながら、3つの物語を並べてみました。
ヴィージニア・ウルフ
(「ダロウェイ夫人」の著者)
(作家・41歳)
ローラ・ブラウン
(リチャードの母親)
(読書好きの主婦・20代後半)
クラリッサ・ヴォーン
(愛称:ミセス・ダロウェイ)
(編集者・52歳)
1941年
(プロローグ)
ロンドン郊外の川で入水自殺(享年59歳)
1923年
リッチモンド(ロンドン郊外の静かな町)
1949年(映画では1951年)
ロサンジェルス
20世紀末(映画では2001年)
ニューヨーク
(人物設定)
神経症の治療のため田舎で療養生活を送っている
1925年に発表されることになる小説「ダロウェイ夫人」執筆中
(人物設定)
優しく経済的にも恵まれた夫ダンと結婚し幸福な生活を送る
二人目の子を妊娠中だが理由のわからない不安を感じている
(人物設定)
元恋人リチャードがエイズに冒されている
50歳を越えて不安の時を迎え、介護疲れの日々を送っている
朝食も食べずに執筆に集中。そんな彼女を心配する夫レナード
「ダロウェイ夫人」より
「そうね、はわたしが買ってきましょう、とミセス・ダロウェイは言った。」
ベッドで「ダロウェイ夫人」を読み夫の誕生日に寝坊する彼女
(映画)妻のために自ら黄色いバラの花束を買ってきた夫ダン
カラザーズ賞受賞記念パーティーの準備に忙しい彼女
リチャードのために花屋でバラの花束を購入し、彼の部屋へ
(小説)路上で、映画撮影中のメリル・ストリープらしき人物を目撃
なんと小説の中でこの小説の映画版撮影現場を幻視していた!
仕事部屋から降りてきて、レナードと本の印刷の打ち合わせ
その後、散歩に出かけ歩きながら構想を練る
誕生祝いのケーキをリッチー(リチャード)とともに作る
しかし、初めて作るために上手くゆかない
花束を持ってリチャードの部屋へ
「もう君のために生きるのに疲れた」と出席をしぶる
(小説)エイズ感染を恐れリチャードの唇にキスをしない
(映画)別れ際にリチャードの唇にキスをする
「ダロウェイ夫人」をどうやって死なせるか?悩む
召使ネリーとの確執(ネリーなどの使用人はみな実在の人物)
ケーキ作りに失敗し、どうしようかと迷っているところへ
近所の友人キティが来訪し、子宮癌の手術を受けることを告げる
別れ際に思わずキティの唇にキスしてしまう
自宅に戻るとパートナーのサリーとすれ違う
リチャードとかつて三角関係にあったルイスを思い出す
(小説)サリーはゲイの人気俳優との昼食に向かう
姉のヴァネッサと3人の子供が遊びに来る
子供たちが死にかけた小鳥を花の中に置いて葬儀を行う
失敗したケーキを捨てて、リチャードを預けて車で出かけ、
市内のホテルにチェック・イン
(映画)自殺するために大量の薬物を持ち込む
(小説)自殺ではなく、考えるため、家出するためのドライブ
サンフランシスコで教師をしているルイスとの再会
三角関係の思い出と別れの記憶について語り合う
ヴァネッサ親子の帰宅
別れ際に不安に襲われた彼女は姉の唇にキス
寂しげにから外を眺める
ホテルのベッドで「ダロウェイ夫人」を読む(2〜3時間)
結局家に戻ることを決意しリッチーを迎えにゆく
(映画)ベビー・シッター宅のから母を待つリッチーの顔が
リッチーは自分の心の中まですべて見通していると気がつく
体外受精によって産んだ娘ジュリアの登場
(小説)同性愛の年上の恋人メアリが登場し、クラリッサと対立
誰にも見られないように家を抜け出し、リッチモンド駅に向かう
ロンドンに戻ろうと切符を買うがレナードに見つかってしまう
(映画)夫と駅で話し合いロンドンに戻ることを同意させる
親子3人によるダンの誕生パーティー
キティの病について夫に話す(キティは死ぬ運命か?)
(小説)ゲイであることをカミングアウトした人気俳優オリバーと
クラリッサのパートナー、サリーの対話
サリーのクラリッサへの思いが語られる
ロンドンに戻ることになり再び意欲的にペンを取る
「ヴァネッサとのキス」からダロウェイ夫人も女性を愛したと設定する
ダロウェイ夫人の代わりに幻視詩人セプティマスが死ぬことに
(映画)レナードに、作品の中でいつも死が描かれているのか問われ
「それは誰かが死ぬことで生きる価値がわかるから」
パーティーを終え、リッチーを寝かせ寝室へ
しかし、いつまでもベッドには入らない
お腹の中の子を産んだら家を出る決意を固める
部屋のから外を眺めるリッチーは、自殺するために窓を開け放つ
思い出を語り合う
「ガラスドアから外を眺める君は美しかった・・・
ぼくたちほど幸せな二人って、いなかったんじゃないかな」

そして、窓の外へ、リッチー自ら死を選ぶ
自宅に戻ったクラリッサ、サリー、ジュリアは後片付けをする
そこへ、カナダからやって来たリッチーの母親ローラ・ブラウンが現れる

(注)上記の分割は小説における「章」に対応しています。3人それぞれのための「章」の数はぴったり同じになっています。
さらに、3つの物語に共通する「言葉」「出来事」にもご注目下さい。(「花束」「死」「キス」「窓」など)
頭に(小説)(映画)とある部分は、どちらかのみで描かれている出来事です。
<映画と小説>
 優れた小説を映画化しようとすると、たいていの場合、物語の映像化で手一杯となり、そのイメージを膨らませ原作を越えるところまで到達することはできません。しかし、この映画の場合は、原作に忠実でありながら、なおかつ、ある部分では小説を越える魅力を生み出すことに成功しています。
 その理由は、映像の場合文章のもつ情報量をはるかに越える内容を一瞬で伝えることが可能だからです。そのため、3つの物語を細かなカットでつなぎ合わせ観客にそれらが同時進行しているように見せることが可能になります。特に、この映画の冒頭の部分では、セリフのないままに3人の主人公の朝を同時進行させ、この映画の構成を観客に一気に理解させることに成功しています。(小説ではこうは行きません)
 観客は、それぞれの物語を見ながら、それぞれの一日の終わりへ、ドラマの結末へと迷うことなく進むことができるのです。もちろん、小説ならではの良さもあります。小説の場合、時間の制限、経費の制限がないので心理描写や過去の記憶をたっぷりと盛り込むことができるので、人物描写はより奥の深いものになっています。リチャードとルイス、クラリッサの三角関係について、その崩壊の過程など映画ではほとんど描かれていませんが、小説では詳しく描かれています。キティやダンの人物描写も小説では詳しく書き込まれています。ただし、こうした欠点については、この小説の映画版の場合、俳優達の名演技が十分にカバーしているとも言えます。メリル・ストリープ、ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーアの3女優だけでなく、エド・ハリス(リチャード)、ジェフ・ダニエルズ(ルイス)、スティーブン・ディレイン(レナード)、ジョン・C・ライリー(ダン)など男優陣の演技も忘れられません。それぞれの俳優が表情やしぐさによって、原作にはないキャラクターの性格を具現化させることで、この映画にはさらに「命」が吹き込まれることになりました。
 さらにこの映画においては、「音楽」もまた大きな役目を果たしています。映画のテーマとなっている「時」を生み出すためになくてはならないのが、一定のリズムで時を刻む「時計」の存在です。そして、その「時計」の役割を果たしているのが、ドイツが生んだ現代音楽の巨匠フィリップ・グラスによる映画のための音楽です。同じメロディーの繰り返しによるミニマルなテーマ音楽は、まるで流れる水のように映画の背景に静かに流れ続けていますが、それが強く自己主張することはなく、あくまでも映画のためのメトロノーム的な役割に徹しています。ある意味これこそが、理想の映画音楽といえるでしょう。

<時間を越える挑戦>
 原作小説で先ず驚かされるのは、その冒頭に置かれたヴァージニア・ウルフの日記からの抜粋です。

「わたしの計画を述べる暇はない。語るべき多くのことは『時間』とわたしの発見について - この作品で、わたしが人物たちの背信にいかにして美しい洞窟を握っているかについて。このやり方によってこそ、わたしの欲するもの - 人間性、ユーモア、深さ - が与えると思う。考えているのは、その洞窟を連結させること。こうすればそれぞれの洞窟が、現在の瞬間のなかで日の光を受けるようになる。」
ヴァージニア・ウルフ 1923年8月30日の日記より

 彼女のこのアイデアこそ、本作の原点となり、その構造を頭の中で思い描き続けた彼女の苦悩の延長戦上にこの作品は生まれたのです。神経症の病に苦しみ、頭痛に苦しんだ彼女は幻視をしばしば見ていたとも言われます。それがどれだけこの作品に生かされたのか?それはわかりませんが、彼女が描き続けた「死」のイメージなしに、この小説は生まれなかったはずです。
 小説にはなく、映画版にのみのこんなヴァージニア・ウルフのセリフがあります。それは彼女が夫から、なぜ君は小説の中で「死」を描き続けるのか?と聞かれたときの答えでした。
「誰かが死ぬことで、生きることの価値がわかるからです」
 この小説の中にも、ヴァージニアのパートでは小鳥が死に、ブラウン夫人のパートではキティの入院があり、クラリッサのパートではリチャードが自殺。さらに「ダロウェイ夫人」の中では戦場で心理的な傷を負って帰還した幻視詩人のセプティマスが主人公に代わって死んでしまいました。ヴァージニア・ウルフという作家は自ら小説の中で「死」を描くことでかろうじて自らの死を免れることが可能になりました。
 優れたアーティストとは誰もがそれぞれに命を削って作品を生み出し続けているものです。そうやって生み出された作品は、作者に代わって命を得て、こうして21世紀にまで生き続けたのです。それどころか、そこから本作のように新たな作品(生命)を生み出すことすらあるのです。川の流れに乗って運ばれていった彼女の「魂」は、地球上を永遠にめぐり続ける生命の輪の源なる「水」とともに永遠の存在となったのです。

<普通の人生>
 人はなぜ生きるのか?何のために生きるのか?こうした人生の本質について考えるのは、普段なかなかありません。それは、身近な誰かが亡くなった時ぐらいかもしれません。それが「普通の人生」でしょう。しかし、誰もがそんな普通の人生を送っているわけではありません。
 ローラ・ブラウンは、そんな「普通の人生」からあえて逃げる道を選びました。当初、彼女は「本」の中に逃げ込む道を選んでいたのですが、それだけでは「魂の平安」を得ることはできませんでした。そして、ついに家族も、幸せな将来も捨てて、カナダへと旅立ち道を選びました。

「どういうわけか、自分自身の世界を去って、書物の領域に入ってしまったような気がします。もちろん青緑色のこのホテルの部屋はミセス・ダロウェイのロンドンとは似ても似つかない。それでも、ヴァージニア・ウルフ自身が、あの溺死した女性、紛れもない天才が死後に住んでいる場所は、この部屋とあまり違いはないのではないか、と彼女は想像する・・・・・」

 クラリッサ・ヴォーンは、リチャードという芸術家と共に生き、彼に自分の思いを託す道を選びました。しかし、その思いを託されたリチャードは、その重さに耐えきれなくなり自ら命を絶ってしまいます。

「リチャードは自分の知人たちや自分自身の生活よりも興味深い生活、或いは価値のある生活というものを想像できない。そしてそれだからこそ彼の前に出ると、だれしも気分が高揚し、心が広がったように感ずるのだ。・・・・・」

「リチャードがいつも彼の頭の中で作り上げている叙事詩、彼の生活と情熱の物語のなかに生きる人物像を続けるのはごめんだと、彼との付き合いを止めたものもいる。しかしまた、彼が自分の人生にもたらしてくれる誇大化された感覚を楽しみ、毎朝飲む目を覚ますためのコーヒーや眠れるように夜飲む一、二杯の寝酒に頼るのと同じように、その感覚に依存するまでになったものもいる。」


 ヴァージニア・ウルフは、その苦い思いを「小説」という芸術作品に昇華させることによって、現実世界から逃げる道を選び、その共犯として夫レナードを選びました。

「クラリッサ・ダロウェイは、と彼女は考える、表面上まったく取るに足りないと思えることで自殺するだろう。彼女のパーティは失敗に終わる、それとも、彼女の夫は彼女が自分自身と家庭について払ったいくばくかの努力をまたしても認めようとしないということになるだろうか。秘訣はクラリッサの些細な、しかしきわめて切実な絶望がいかに重大であるかを完璧に描き出すこと、彼女は家庭で味わう挫折によって、将軍にとっての敗戦と同じくらい心が打ちのめされてしまうのだと読者を十分に納得させること。」

 そして、作品の中で「死」を描くことで、自らの生命を保ち続けますが、作品を書けなくなった時、必然的に彼女には「死」が待っていたのかもしれません。

 あなたは「普通の人生」を選んでいますか?それとも・・・ちなみに、僕はごく普通の人生を送っています。愛する妻のために生きるダンが僕の理想です。今のところは・・・

小説「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人 The Hours」 1998年
(著)マイケル・カニンガム Michael Cunningham
(訳)高橋和久
集英社

映画「めぐりあう時間たち The Hours」 2002年
(監)スティーブン・ダルドリー Stephen Daldry (「愛を読む人」2008年、「リトルダンサー」(2000年)と本数は少ないながら駄作のないイギリスの名監督)
(製)ロバート・フォックス、スコット・ルーディン
(脚)デヴィッド・ヘア
(原)マイケル・カニンガム
(撮)シーマス・マッガーウェイ
(編)ピーター・ボイル
(衣)アン・ロス
(美)マリア・ジャーコヴィク
(音)フィリップ・グラス
(出)ニコール・キッドマン、メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、エド・ハリス、スティーブン・ディレイン、ジェフ・ダニエルズ、ジョン・C・ライリー
この作品は上記の他、ゴールデン・グローブ賞では最優秀作品賞(ドラマ部門)、主演女優賞(ドラマ部門)を、英国アカデミー賞でも主演女優賞と作曲賞を受賞しています。

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