- ジミ・ヘンドリックス Jimi Hendrix -

<追記>2003年12月14日

<居場所のない男 Nowhere Man>
 ジミーにはいつも居場所がありませんでした。その運命は、彼が生まれた時から始まり、死ぬまで彼につきまとっていました。彼の音楽は、自分が追い込まれた間違った場所から脱出するための唯一の手段だったのかもしれません。
 ジミの両親は、彼が生まれてすぐに離婚してしまいました。若すぎる母によって、親戚のおばさんにあずけられてしまった彼には、早くも帰るべき家がなくなりました。それでも、母親が再婚すると、彼は再び両親とともに暮らすようになりますが、その母も彼が15歳の時にこの世を去り、再び彼はその居場所を失ってしまいます。

<不良仲間の社会から軍隊へ>
 誰よりもシャイな男だったジミですが、そんな環境のもと、しだいに不良グループの仲間入りをするようになり、窃盗などの罪で警察に逮捕されてしまいます。しかし、そこで彼は刑務所行きの代わりに軍隊への入隊を志願します。(彼はキング牧師との出会いまでは、ベトナム戦争を肯定的にとらえていたようです)彼は、そこでギターを本格的にマスターすることになりました。

<R&B、ブルースの世界>
 軍隊生活の間に肌身離さずつきあったギターは、彼が除隊した後、新たな生活の糧となりました。リトル・リチャードのバック・バンドに採用されてからは、ミュージシャンとして仕事が回って来るようになり、アイズレー・ブラザースのバック・バンドでは、ギタリストとして注目を集めるようになりました。しかし、彼の目立ちすぎるパフォーマンスは、多くのミュージシャンたちに煙たがられるようになり、いつしか彼はバック・ミュージシャンとして食べて行くことができなくなってしまいました。

<ハーレムからグリニッチビレッジへ>
 彼が選んだ新しい住みかは、ニューヨークのヒッピー、アーティストたちのたまり場、グリニッチビレッジでした。彼はこの時、黒人文化の中心地、ハーレムを捨て、白人文化の先進地を選んだと言えるのかもしれません。(同じ道を選んだ黒人アーティストは少ない。リッチー・ヘブンスとタジ・マハールくらいでしょうか)しかし、彼はここでブルース・ロックの新しいヒーローとして、自由に自分の表現をできるようになりました。そして、そんな彼の才能を見い出したのが、イギリスから来ていたアニマルズチャス・チャンドラーでした。

<ブルース天国、イギリス>
 イギリスという国は実に不思議な国です。世界で最も保守的な国と言われるのに、何故か文化についての革新性は、自由の国アメリカを大きく上回っています。ブルースは、本国アメリカではなくイギリスにおいて、再発見されたと言えるし、パンクが世界中に広まるきっかけをつくったのもイギリスでした。その意味で、チャス・チャンドラーがイギリス行きを誘ってくれたことは、ジミにとってまさにラッキー・チャンスでした。彼はついに自分の居場所を見つけたと思ったのかもしれません。そこはジミにとってまさに天国でした。彼は、ストーンズやビートルズのメンバーたちと同格に扱われる人気者になってしまったのです。

<再び混乱のアメリカへ>
 アメリカに凱旋帰国したジミには、もう壊すべき壁など存在しないように思えただろう。ジミが独特のギター・サウンドで築き上げた「自由を求める音楽」は、60年代末の時代の空気にまさにピッタリだった。ジミの音楽は、ベトナムの戦場で塹壕に這いつくばる兵士たちをマリファナやLSDとともに宇宙へといざなう最新兵器となった。それは、ウッドストックなどの野外フェスティバルでも威力を発揮し、今や彼は「ギターの神」と言われる存在になっていた。

<カリスマ・ヒーロー・ジミ>(2003年12月14日追記)
 彼はギター・ヒーローであるだけでなく、ファッション・リーダーでもありました。黒人ならではのセンスは行く先々で人々をひきつけ、音楽だけでなくサイケでポップなカリスマ・ヒーローとして、時代をリードしてゆくことになります。
 当時、サンフランシスコのフィルモアを経営し、時代をリードしていたビル・グレアムはこう言っています。
「ジミはまた、ファション・リーダーでもあった。レザー・パンツを最初にはいたロック・スターはジム・モリソンだったけれど、そこにひざにスカーフを巻いたジミ・ヘンドリックスが登場し、サンフランシスコを去る頃には、ひじと頭にも新しくスカーフを巻いていた。するとすぐにみんなも、同じことをするようになったんだ」
またこうも言っています。
「ステージのジミは、きわめつけのトリック・スターときわめつけのテクニシャンの合体だった。・・・」

<エレクトリック・レディランド・スタジオ>
 ジミは、エレキギターのもつ潜在能力を最大限に引き出しただけでなく、自らのスタジオをもって最新の録音技術による新しいサウンド作りにもその力を発揮しました。(自分専用の最新設備のスタジオをもったアーティストは彼が初めてでした。最近では、ディ・アンジェロがこのスタジオでアルバムを録音し話題になりました)このスタジオで生まれたアルバム「エレクトリック・レディランド」は彼の最高傑作と呼べる作品となりました。このスタジオこそ、彼にとって最高の居場所だったに違いありません。

<英雄のジレンマ>
 彼は理想のスタジオを得て、新たなサウンド作りに意欲を燃やしますが、その挑戦にファンやレコード会社は冷淡でした。大衆は彼にいつまでもステージ上で「紫の煙」を演奏し、なおかつギターに火を放つことを望んでいたのです。そして、そのことを知っているレコード会社も彼に白人向けのブルース・ロックを演奏し続けるよう要求しました。「ウッドストック」でのライブで、ジミは黒人パーカッション奏者をバンドに加え、アフリカン・リズムを大幅に導入しようとしていました。しかし、その計画も録音の際、ミキサーによって勝手にリズム隊の音が絞られてしまい実現しなかったと言われています。彼の音楽は再び居場所を失いつつありました。

<黒人であること、麻薬とギャングと銃の世界>
 音楽性の問題以上に彼を精神的に追いつめたもの、それは麻薬によって彼を操り続けていたギャングたちの存在でした。彼らはジミに麻薬を与え続けながら操ることで、彼の稼いだお金を吸い上げ、莫大な利益を上げていました。実際、ジミの口座にはいつもわずかのお金しかなかったと言います。彼はコンサート・ツアーのスケジュールすら自分で決められずにいたのです。ギャングたちが、彼を銃で脅す姿も目撃されています。彼の居場所はついにツアー先のホテルの一室だけになってしまいました。もし彼が黒人でなかったら、この状況から抜け出す方法は、きっとあったはずです。その意味では、彼はやはり黒人としての宿命から抜け出せなかったのです。

<神の待つ天国へ>
 こうしてジミは、閉じこめられたホテルの部屋から、薬とアルコールによって、天国へと旅立つことになったのです。ジミの死後、数年経って、記念碑が彼の地元シアトルに立てられることになりましたが、彼の死が麻薬によるものだったことが問題となり、その場所はなんとシアトル動物園の中になってしまったといいます。もちろん、その後ブロードウェイ・アヴェニューにちゃんとした銅像が立ち、彼の功績は認められるようになりましたが。死してなお、居場所探しをしなければならないなんて、なんと運がないことでしょう。たとえ、彼の音楽が永遠に聴かれ続けられるとしても、彼が死ぬときに思っただろう「やり残したことへの悔しさ」のことを思うと、胸が締め付けられる思いがします。

「ロックが夭折した神々に守護されていた時代は、もう遠い昔となtってしまった。今日誰かが酔狂にアメリカ国家をギターで即興演奏したとしても、いかなるスキャンダルも生じないだろう。ロックはもはや完全に社会体制の内側に組み込まれ、従順で扱いやすい音楽と見なされているからだ。その世界に彼のような偉大な攪拌者、挑発者がもはや出現することはあるまい。ジミヘンの名はいくえものノスタルジアに覆われている。だが彼が身をもって示した雑種性の問題は、ノスタルジアとは別の次元で、いまだにわれわれの前に大きく立ち塞がっている。」
四方田犬彦(著)「音楽のアマチュア」より

<締めのお言葉>
「自由であることは何でもない。自由になることが天国的なのだ」 フィヒテ

<追記>(2014年4月)
 彼の代表曲「パープル・ヘイズ Purple Haze」(紫の霞)のタイトルは、SF作家フィリップ・ホセ・パーマーのSF小説「ナイト・オブ・ライト」の中の一節から取られているそうです。ジミはSF小説のファンだったのだそうです。意外です。彼が文学青年だったとは!
 そのうえ、彼の録音へのこだわりはかなりのもので、エンジニアは大いに苦労したようです。オーヴァー・ダビングを繰り返すことで、あの奥の深い不気味な音質が生み出されたのです。どうやら彼についての大方のイメージとは違い、ジミ・ヘンドリックスという人物は実はインテリ・タイプのオタク青年だったのではないでしょうか。

[参考資料]
「ジミ・ヘンドリックス- 神になったギタリスト -」TVプログラム
1999年 BBC制作
「ファンク - 人物、歴史そしてワンネス -」
リッキー・ヴィンセント著 (株)ブルース・インターアクションズ
「ロック伝説(上)」 ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)
その他

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