「この道を行く人なしに None of Accompany Me」

- ナディン・ゴーディマ Nadine Gordimer -

<南アフリカの闘士>
 ノーベル文学賞を受賞している南アフリカを代表する作家、ナディン・ゴーディマ女史。アパルトヘイトと闘い続けた白人一家の物語「バーガーの娘」により一躍世界にその名を知られた女性作家です。彼女がどんな人物なんのか?反アパルトヘイトの闘士なのか?それとも政治に深く関るフェミニスト作家なのか?白人なのか、黒人なのか?ほとんど何も知らないままこの小説を読みました。
 1990年のネルソン・マンデラ氏の釈放から始まったアパルトヘイト体制の崩壊と変革の時期を丹念に描いたこの小説は、南アフリカの当時の状況を知るのに最適の歴史書でもあります。(登場人物は架空の人物ばかりですが、歴史的な事実には忠実で、政治家にもモデルがいるようです)
 なぜ、南アフリカは未だに国内において混乱がなくならないのか?黒人たちの貧しさと犯罪件数の増加が相変わらずなのはなぜなのか?アパルトヘイトの廃止後、そう簡単に社会が変わるとは思えませんが、それでも南アフリカはワールドカップ・サッカーの本大会を開催するというアフリカの人々にとっての夢をいち早く実現するところまでたどり着いたのも確かです。彼らはどうやって混乱の中、国を再構築してきたのか?そうした活動に関った人々の人生を少しだけ知ることができました。その点では、この作家の出世作となった「バーガーの娘」も読むとさらにさかのぼって20世紀南アフリカの歴史を知ることができるでしょう。

<あくまで人間的なドラマ>
 この小説はドキュメンタリー・タッチの歴史物語というわけではありません。それは、激動の南アフリカの歴史をバックに描かれた力強い人間ドラマであるからこそ、読者を感動させることができるのです。混乱する南アフリカの舵取りに関ることになったひとりの白人女性の人生は、けっして英雄的なものではありません。タイトルどおり「この道を行く人のない」彼女だけの人生を歩む姿は、時に愚か、時に勇敢、時に悲しみに満ちています。(この小説のタイトル「この道を行く人なしに None to Accompany Me」は、日本の俳人松尾芭蕉の俳句「この道を行く人なしに秋の暮れ」からとられたのだそうです)
 昔から「英雄、色を好む」とよくいいます。坂本龍馬、ジョン・F・ケネディ、キング牧師のような究極の英雄たちの女性好きはかなり有名ですが、確かにそういった傾向は存在しているような気がします。もちろん、それは「色を好む人」だから「英雄」になるというよりも、「英雄」として生きるために必要な「バランス」のため必要だったとも考えられるし、「英雄」になるだけの「パワー」を持つ人は「女性を愛するパワー」にもあふれていたと考えることもできます。(これって、男性に都合の良い明らかに間違った適者生存の進化論なのですが・・・)
 しかし、同じことはこの小説の主人公のように、女性の場合にもありうるのでしょうか?歴史的な美女として有名なマリリン・モンローとグレイス・ケリーは、セックス依存症だったと言われています。それはある種「英雄、色を好む」の女性版といえるのかもしれません?(これもまた差別発言ととられかねません)でも、女性でもなく、心理学者でもない僕にこの問題を語ることは不可能です。とはいえ、この小説を読んで初めてそんなことを考えさせられました。
 誰も歩む者のない道を歩む人にとっても、セックスはその重要な人生の一部でありうる。このことを真正面から、それも女性の視点から取り上げていることこそ、この小説の最も画期的な部分といえると思います。その点では、この小説は是非女性に読んでいただきたく思います。(ただし、共感できるかどうかは、人それぞれなのかもしれませんが・・・・・)
 「1990年代の南アフリカ」という特殊な舞台において、彼女の新しいキャラクターはしっかりとリアリティーを保っています。それは単なるキャリア・レディーの不倫物語ではありません。

<南アフリカの20世紀>
 南アフリカにおける黒人たちの悲劇は、南アフリカの支配権を争って行なわれた白人たちの争い「ボーア戦争」(1899年〜1902年)が終わってから、より厳しさを増しています。特に1913年に成立した土地法は、昔からその土地に住み農業を営んでいた黒人たちから土地の所有権を奪うという理不尽なものでした。その後、世界は戦乱の時代に突入しますが第二次世界大戦後、平和の訪れと同時にこの国にあの悪名高きアパルトヘイト体制が始まることになりました。
 1948年、ナチス・ドイツのホロコーストが終焉を迎えたわずか数年後、南アフリカではそれと同じ人種差別に元ずく政治体制が築かれました。それも、ナチス・ドイツを倒した自由主義国の中心イギリス連邦から1910年に独立したばかりの民主主義の国に誕生したのですからあきれてしまいます。
 その後、世界は人種差別をなくすべく動き出し、アメリカの公民権運動に代表される人種差別撤廃の流れは世界の必然となります。しかし、南アフリカはその流れに逆行するように他国からの批難を無視し続けました。1912年に結成されたアフリカ民族会議(ANC)は、そうしたアパルトヘイト体制を撤廃させるために活動を開始します。1940年代から50年代にかけて、黒人たちは非暴力闘争によって政府に対抗します。(その初期の活動に関ったのが、後にインド独立の中心人物となるマハトマ・ガンジーでした)しかし、運動の中心人物ネルソン・マンデラ氏の逮捕や政府による厳しい弾圧により、運動は思うような成果を上げることができませんでした。
 1960年代末、世界中で若者たちが社会変革を起こすための運動を繰り広げる中、新しい世代によるより過激な反アパルトヘイト運動が活発化します。1976年の有名な「ソウェト蜂起」は、その象徴的な事件で、80年代以降、南アフリカ国内はいよいよ人種間の対立が深まることになりました。1985年に発表された反アパルトヘイトを世界に訴えかけたアルバム「サンシティ」は海外から向けられた批判の象徴として有名ですが、それ以上に南アフリカに対する世界中からの経済制裁は、じわじわと政府の首を絞め、支配する側の白人内部の分裂が進みました。右派強硬派のボタ政権は、1989年ついに左派穏健派のデクラークに政権の座を奪われます。そして、1990年の2月には、27年という長期間にわたりケープタウンの沖にあるロベン島の牢獄につながれていたANCのリーダー、ネルソン・マンデラ氏が釈放されます。

<アパルトヘイト廃止以後>
 いよいよアパルトヘイトは廃止され、白人地主に奪われていた土地を黒人たちは取り戻すことになりました。まさにこの時期に土地所有問題を扱うスペシャリストとして黒人たちの側に立って問題の解決にあたっていた女性弁護士ヴェラ・スタークが、この小説の主人公です。
 長期的に見れば、黒人たちの勝利は明らかでした。しかし、実際にその状況の中でも誰かが解決のために苦しい思いをしなければ、事態は決して変わらなかったはずです。そうでなくても、追い込まれた白人たちの強硬派はテロ活動や暗殺といった暴力を用いることで彼ら黒人たちのリーダーを消し去ろうとしていました。そんな状況の中、少しずつであっても改革を進めることができたのは、白人支配層と対等に交渉を行い法律の見直しを行なうことができる少数の白人改革派の人々でした。社会は変革のムードだけでは変わりません。誰かが実際に立ち上がり、その苦労を請け負わなければならないのです。
 それにしても、当時の南アフリカは、あまりに長きに渡り内部対立が続いていたため、すべての社会システムが混乱を極めていました。社会を改革するには、すべてを見直す必要があったといえます。特に、教育行政が崩壊してしまっていたことで、たとえ経済が復興しても、教育を受けずに育った若者たちを社会に復帰させることは非常に困難になっていました。そのため、働かない若者が犯罪へと走り、社会不安はいつまでも消えずにいるのです。たぶん、それは現在でも続いています。一度、崩壊したシステムを再構築することは、ゼロからすべてを立ち上げることよりも困難なことだと思います。

「・・・・・もしもあの子たちがもっと小さかったころに、親が彼らを学校にやれないほど貧乏でなかったら、もしも白人の子供たちが学校に行きはじめるのと同じ年ごろに、全員を受け入れるだけ十分な学校があったら、もしも彼らが強制退去によって国じゅうのあちこちに追い立てられていなかったら - もしもほかの子供たちと同じように、子供でいられる機会があたえられていたら - いまごろは、立派な男女になっていて、子供として扱われずにすんだはずです。そうすれば、人々が震え上がるようなこともしなかっただろうし、怒り狂って何をしでかすかわからない若者にはならなかったはずです。この国は何もかもまちがってしまった・・・・」
ヴェラ・スタークの言葉(本文より)

 なぜあんなにも犯罪が多発する国でワールドカップ・サッカー本大会を開催するのか?そう疑問に思うのは当然だと思います。しかし、サッカーというスポーツ競技を中心として若者たちに生きる希望を与えることは、今の南アフリカにとってけっして無駄なことではないはずです。前述のヴェラの嘆きに対し、彼女と共に闘った黒人側の活動家ラプラナはこう答えます。

「・・・・・こっちでひとつ、あっちでひとつ。すべてが壊れている。あなたはあなたにできることをする、ぼくはぼくのできることをする。それしかありません・・・・・」

 夫がいて二人の子供もいながら年下の男と恋におち、不倫関係を続けていた彼女にとって、SEXと人生を切り離すことは不可能でした。たとえそれが夫や子供たちを傷つけたとかわっても、自分の生き方を否定する気にはならない。
 女性だって、そうやって生きていいんじゃないの?
 そう読者に迫る力強さは、もしかすると男性の時代だった20世紀の終わりを象徴しているのかもしれません。このままゆくと、21世紀には草食系男子が肉食系女子によって絶滅の危機に追い込まれる可能性もあるでしょう。

<ヴェラの場合>
 ヴェラはそんな波乱の人生を乗り越えた後、新たな政権がつくる憲法制定委員会の委員に抜擢されることになります。人種差別と闘い、男と女の性、娘と息子との関係に苦しみ続けた彼女は、最後に夫や子供たちと別れ、共に闘ってきたラプラナとの同居生活を始めます。彼女はそこに、性も人種の違いも超えた新しい人間関係を築きつつありました。

「ヴェラは定義を変えなくてはならない。友とはなにか。友とは、異なった個人でありながら、告白や秘密を打ち明けられる存在のことだ。こうした友情という行為では、自己のさまざまな面のすべてをひとりの友人に託すことはできないけれども、しかし相手の内部に自己の重荷を下ろすことはできる。ヴェラがかつてそう定着した性行為とまったく同じだ。」

「数々の混乱を乗り越えてたどりついた今の行き方に私は後悔などしない!」そんな主人公の力強さにいつか僕も迫りたいと思います。暗い南アフリカの現実を見据えつつも、前向きな力強さをもつ、人を元気にできる作品です。

<あらすじ>
 1990年白人穏健派政権の誕生により、ネルソン・マンデラが釈放され、アパルトヘイトの廃止は決定的となった南アフリカ共和国。黒人たちのために土地の所有権をめぐる裁判を担当していた弁護士のヴェラ・スタークは不倫相手と結婚するために夫をすてたり、その後も年下の青年と不倫関係を続けるなど、家庭内でも問題を抱えていました。人種間の対立が深まり、裁判所が増える中、彼女もまたその混乱に巻き込まれてゆきます。それでも彼女は黒人たちと理解し合い、着実に問題を解決。その手腕を買われて、新体制のために憲法制定準備を行なう委員会に招かれます。しかし、こうしたキャリアとは別に彼女の息子は妻と離婚。娘は男性を愛せず友人との同居生活を始めていました。自分がかつて不倫をしていたことは夫だけでなく子供たちにも知られていました。
 しかし、彼女はこうした過去の自分を単純な否定するのではなく、それを清算したうえで新たな生活に向かうことを決意します。

「この道を行く人なしに None of Accompany Me」 1994年
ナディン・ゴーディマ Nadine Gordimer (著)
福島富士男(訳)
みすず書房

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