「闇の左手 The Left Hand of Darkness」

- アーシュラ・K・ル=グィン Ursula Kroeber Le Guin -

<1960年代末を象徴する愛と平和の小説>
 この小説は、1960年代のSFを代表する傑作であり、21世紀に入ってなお、その輝きを失わないマスター・ピースの一つです。この小説が発表されたのは1969年。世界中が価値観の崩壊にゆれる変革の時代でした。そんな過激な時代にあって、この小説のもつ静けさや優しさは特異な存在だったかもしれません。まして、作者は女性です。フェミニズムが力をもつ時代が70年代に訪れる、その先駆けとして、この小説は受け入れられたともいえるでしょう。革命と闘争の時代に異なるものどうしだからこそ、愛し合い共存しうることが可能なのだと説いたこの小説の力は今でも有効なはずです。

「追放の身にある私たちに何よりも必要であった友情、そしてあの苦しい旅の明け暮れにたしかめあった友情は今はもう愛と呼んでもよいのかもしれなかった。だがそれは私たちの違いからくるもので類似からきているものではない、両者の違いからこの愛は生じているのだ。そして愛がそれ自体架け橋なのだ。私たちを分かっているものに架け渡す橋なのだ」
「闇の左手」ゲンリー・アイの言葉

 未だに差別がなくならないアメリカから生まれたこの小説の価値は、イスラム教徒への差別が強まる21世紀の今再び重要性を増しているかもしれません。

<1970年代前半を代表する作家>
 この小説の作者アーシュラ・K・ル=グィン Ursula Kroeber Le Guinは、1929年10月29日、カリフォルニア州バークレーに生まれています。彼女の描く世界のイメージから、彼女が育ったアメリカ西海岸の「軽い」文化を想像するのは難しいかもしれません。しかし、アメリカで初めて文化人類学の博士号を取得した学者の父とアメリカ最後のインディアンの伝記を書いた作家の母という家庭で育ったと聞けば、その独自の世界観が生まれたことも納得です。
 彼女はコロンビア大学でフランス、イタリアのルネッサンス期文学を専攻。その後、パリに留学しヨーロッパの文化を吸収しています。その間も、彼女は作家になることを志しており、11歳の時に初めて小説を書いて雑誌に投稿して以来、SF、ファンタジーを中心に作品を書き続けていました。彼女が本格的に作家として活動するようにったのは、1962年のこと。ファンタスティック誌に「April in Paris」という短編小説が掲載されてからです。その後、1966年に長編SF小説「ロカノンの世界」、「辺境の惑星」を発表。翌年には、それらの作品と同じ世界を舞台にした「幻覚の都市」を発表しますが、当時はそれほど注目されずにいました。しかし、その翌年には、彼女の名を歴史に刻むことになるファンタジー文学の金字塔「ゲド戦記」シリーズの第一作「影との戦い」が発表されています。
 こうして、彼女の名が世界に知られようとする中、満を持して発表されたともいえるのが、「闇の左手」(1969年)でした。彼女は本作でSF界における最高賞の二つ、ヒューゴー賞、ネビュラ賞をダブル受賞。一躍、SF界のトップに立ち、その後、「天のろくろ」(1972年)、「世界の合言葉は森」(1973年ヒューゴー賞中短編部門)、「オメラスから歩みさる人々」(1974年ヒューゴー賞短編賞)、「所有せざる人々」(1975年ヒューゴー、ネビュラ・ダブル受賞)、「ニューアトランティス」(1976年ヒューゴー中短編部門)と毎年のように傑作を発表し続け、賞を獲得しています。1970年代前半を代表する最大のSF作家は彼女だったといえます。

<SFの定番ストーリー>
 
「闇の左手」の物語の基本は、「異星人との接触」というSFにおける超定番的なものです。ただし、物語の舞台は惑星<冬>ゲセンという架空の惑星上で、その星の人々が宇宙の果てからやってきた異星人「人間」の訪問を受けるという展開で、映画「未知との遭遇」とは逆の展開といえます。そのため、読者はその星に住むゲセン人の視点から「人類」という宇宙人を改めて見る事になります。そこで浮かびあがって来るゲセン人と人類との違いこそが、この小説の読みどころであり、それを乗り越えられるのか?というのが重要なテーマとなっています。

<ゲセン人とは?>
 両性具有のゲセン人は、月に一度ケメル期と呼ばれる発情期(数日間)をむかえます。その時、同じようにケメル期をむかえたゲセン人と接触することで、どちらかが男性、どちらかが女性となり、性交が可能になります。
(参考:こうした性の転換は、実際地球上の魚たちの中ではよくあることです。珊瑚に生息するあのクマノミは、自分の縄張りで最大の一匹がメスになり、次に大きな一匹がオスになります。もし、そのメスが死んだ場合、オスはメスに変化し、後を継ぐことになります)

 ということは、ゲセン人は普段はセックスという行為、セックスという性の違い、どちらも意識せずに生きているわけです。当然、痴漢も婦女暴行もケメル期以外には起きません。そうした、生活がどれだけ彼らの社会や文化に影響を与えているのか?実は、かつて宇宙を制覇していた過去の人類(ハイン人)が「性差」をなくすことで文明がどう変化するか?その実験を行なうために遺伝子操作によってゲセン人を生み出したらしい、ということも書かれていますが、そのことは謎に包まれたままです。

<フェミニズムの先駆>
 この小説で特殊な性をもつゲセン人を描くことにより、ル=グウィンは「男と女」からなる人類のもつ問題点を浮き彫りにしてみせました。それは当時、話題になり始めていたフェミニズムの先駆けだったともいえます。
「・・・・・<出産にしばりつけられる>義務を免れないという事実は、ここでは、よその世界の女性のように完全に<しばりつけられる>ことがないということだ。つまり重荷も特権も、すべての人が同等の危険、同等の選択の機会をもっている。換言すれば、ここの人間はすべて、よその世界の自由な男子ほど自由ではないということだ」
本書内(ゲセン人についての報告書)より

「・・・・・われわれの人生においてもっとも重要な要素となるものの一つは、男性に生まれるか女性に生まれるかということです。ほとんどあらゆる社会において、その性が期待や行動や外観や倫理や作法など - ほとんどあらゆることを決定するのです。語法も。衣服も。食物すら。女性は・・・食事の量も少ないですし・・・いや、先天的な相違と後天的な相違を分けるのは非常に困難ですね。女性が社会において男性と同等の役割を果たしている場合にも子を産むことはすべて女性の負担ですし、それを養育するのもほとんど・・・・・」
「すると平等は普遍の法則ではないのですね?彼らは知能的に劣っているのですか?」
「・・・・・」

(ゲセン人からの質問)

 ゲセンを訪れる人々がこの違いを認識していないと、そこで人間関係の構築をあやまる可能性があります。そのため、この星を訪れた調査隊は報告書にこう書いています。
「第一次先遺隊を送り込む場合、彼が自信家か老齢である場合を除いては、プライドが傷つけられることをあらかじめ警告すべきだ。一般に男性は男らしさを認めてもらいたいし、女性は女らしさを認めてもらいたいものだ。関心の示し方がわずかにしろ間接的にしろ。惑星<冬>ではそうした感情は存在しない。人間は人間ちょしての価値によって弁別される。これはおどろくべき体験なり。・・・」

<異なる文化間の相互理解>
 しかし、この小説の本当に素晴らしいところは、人類にはない特殊なセクシュアリティー(性)をリアルに描き出していることではなく、それを乗り越えてゲセン人の一人エストラーベンと特使のゲンリー・アイの間に「友情」もしくは「愛情」を育ててゆくことにこそあります。二人の特異な関係が成立してゆく様子を、その生き生きとした描写によって読者に納得させることに見事に成功していことこそが素晴らしいのです。
 元々、読者を物語の世界に引き込む力は、ファンタジー小説の名作「ゲド戦記」でも知られていますが、この小説においても彼女はその力を存分に発揮しています。例えば、この小説の冒頭。

「私はこの報告書を物語のようにしたためよう。我が故郷では幼時より、真実とは想像力の所産だと教えこまれたからである。まぎれもない事実もその伝え方で、みながそれを真実と見るか否かがきまるだろう。わが故郷の海に産まれるあの唯一の有機質の宝石のように。その宝石もつけ方で、ある人がつければそれは輝きを増し、また他の女によって装われるときは光を失い石くれと化してしまう。真実がそうであるように真実もまたこぼれやすい。一貫性も見出しにくく、割り切れもせず、実体的なものでもない。ただ両者とも傷つきやすい。・・・・・」

 さらに読者をひきつけているのは、本編の合い間にはさみこまれたゲセンの民話や伝説です。詳細な「冬の惑星」の描写に加えて、この星の誕生についての伝説や人々の生活についての民話によって、厳しい自然の中で生きるゲセン人の生き方や考え方は、より具体的に目で見るように思い浮かべることができるはずです。
 主人公の二人、エストラーベンとゲンリー・アイが雪に覆われた広大な平原や山々を越えて旅を続ける様子の描写を読んでいると、植村直己ラインホルト・メスナーなど、伝説の登山家、冒険家たちのことを思い出してしまいます。
 さらに僕は、異なる世界に属する二人の主人公の信頼関係から黒沢明によって映画かされたロシア紀行文学の名作「デルス・ウザーラ」を思い出しました。「デルス・ウザーラ」の中、吹雪のためホワイトアウト状態になった主人公たちがデルスの機転により凍りついた湖に生えたアシを切り倒して作て避難小屋を作る場面があります。その場にあるもので、危機を乗り切るデルスの英知に主人公は命を救われる名場面です。この小説を読んでいると、すぐにこの場面のことを思い出しました。ル=グィンもきっとこの本を読んでいると思うので、参考になっているのでは・・・と思います。
 こうして、厳しい環境のもとで、異なる人格はお互いを理解し合い素晴らしい人間関係を築き上げてゆきます。そして、この過程を描くことこそ、ル=グィンが目指していたことなのです。

「雪と氷に閉ざされた荒涼たる地に立っている二人の人間を見た時から、それぞれはじまったのだと。いってみれば「闇の左手」という作品は、この二人をつかまえよう、そこに近づこう、その二人の人影が二人きりでぽつんと雪の上に立っているのを見た、その場所に到達しようとする努力の結果にほかならない、・・・・・」
ル=グウィン著「所有せざる人々」のあとがきより

 こうしたル・グウィンの小説に対する姿勢こそ、この作品が人間ドラマとして高く評価される最大の理由といえるかもしれません。当時、SF界で始まろうとしていた革新的な運動「ニューウェーブ」の作品群がもつ、最も重要なポイントといえるのが「外宇宙」ではなく「内宇宙」を描くということでした。(この運動の中心はイギリスでしたが)「内宇宙」とは、すなわち「人間の心」であり、そこに存在する「愛」「友情」「憎しみ」でもありました。SFの評論家レジナルド・ブレットナーは自著「現代のSF」の中でこう書いています。

「SFにとって、作家の真の研究対象は人間である。人間、そして人間がなし、考え、夢見るすべてのこと、そして人間が作り上げるすべてのこと、そして人間が知るであろうすべてのこと・・・」

<この小説の背景となった宇宙>
 この作品はそうした人間の本質に迫るために行われたSFならではの挑戦における最大の成果のひとつだったといえるでしょう。この小説を支えるリアリティーを生み出したもうひとつの仕掛けとして、当時彼女の小説で用いられていた独自の宇宙史・宇宙像があります。
 かつて惑星ハインに住むハイン人は超高度な科学文明を築き、宇宙の様々な星に植民を行い、それぞれの星に子孫を残しました。しかし、時は流れ、いつしかハイン人の文明はその勢いを失い始めます。そのため、いつの間にか、多くの星ではハイン人の歴史が失われ、まったく独自の歴史が続いて行きました。(どうやら地球のそうした過去の歴史を失った星のひとつらしい・・・)
 長い歴史の後、ハイン人の一部は再び文明を復興させ、失われた植民地を求め、それらの国々を連合体としてまとめ、エクーメンという宇宙連合体を設立し始めます。
 この小説に登場するゲンリー・アイも、そのエクーメンの代表として惑星<冬>へと国交交渉を行いに来ていました。ただし、エクーメンが目指すのは、けっして植民地を増やし、そこから利益を得ようとしう考えではなく、あくまで友好関係を築くこと、そして有益な情報交換を可能な体制を築くことにありました。(例えば、地球温暖化問題に対して、エクーメンなら素晴らしい解決策を提示してくれるかもしれません)
 彼らの考え方は、エクーメンが送る外交使節の人数うにも表れています。彼らはたった一人だけ、それも武器も持たない交渉役を送り込むことで、それが侵略行為ではないことを示すのです。

「・・・一人ではあなた方の世界を変えることはできない。しかし、ぼくはあなた方の世界によって変えられることができる。一人ならぼくは耳をかたむけなければならない、喋らなければならない。一人なら、ぼくのつくれる人間関係は、もしつくれるならばだけれど、非人間的なものではない、政治的なものではない関係。人間的な個人的なもので、それは政治的なもの以上の、そしてそれ以下のものだ。・・・・・」

 かつてキリストが人間界に神から遣わされたように人は、たった一人、一対一で人間関係を築き上げることから、すべては始められなければならないのでしょう。異星人間の交渉を描きながら、これほどまでに人類文明の本質にも迫った小説は、そう多くはありません。「人間」を描いてこそ、「小説」である。そんな言葉がぴったりの傑作です。

<あらすじ>
宇宙同盟エクーメンからの使者、ゲンリー・アイは、冬の惑星ゲセンとの外交交渉を始めるため、その星の主要な国のひとつカルハイドを訪れていました。ところが、交渉の仲介役となっていた大臣のエストラーベンが突如、独裁色を強める王によって追放され、隣国オルゴレインに逃れたため、交渉は白紙にもどってしまいます。ゲンリー・アイハ、交渉の継続は困難とみて隣国のオルゴレインへと出国。ところが、カルハイドと対立していたオルゴレインでは政界内での権力闘争が始まり、彼はその混乱の中、右派勢力によって強制収容所に送られてしまいます。
 そのことを知ったエストラーベンは、命がけで彼を救い出すと、再びカルハイドへと戻る旅に出ます。季節は厳寒の冬を迎えつつあり、二人は追手のいない原人未踏の雪の平原を横切る危険なルートを選択します。二人は雪の巨大平原を向け出せるのか?そして、いかにして交渉を再開するのか?

「闇の左手 The Left Hand of Darkness」 1969年
(著)アーシュラ・K・ル=グウィン
(訳)小尾芙佐 Obi Fusa
ハヤカワ文庫



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