「マンンゾーニ家の人々 La Famiglia Manzoni」

- ナタリア・ギンズブルグ Natalia Ginzburg、須賀敦子 Atuko Suga -

<異色の大河小説>
 500ページをこえる大河小説ですが、その多くは手紙のやり取りを書き写したものです。イタリアの実在の作家アレッサンドロ・マンゾーニという人物の伝記ともいえる内容ですが、彼は日本ではほとんど無名に近い作家で、僕もまったく知りませんでした。その上、手紙のほとんどは彼のものではなく、彼の家族が書いたものです。
 そして、その物語の舞台となっているのは、19世紀半ばの北イタリアで、あまりピンとくるものがないかもしれません。時代としては、イタリアが統一され一つの国になる時期にあたりますが、そうした政治的混乱についての記述は、ほとんどなくドラマチックな歴史が描かれているわけでもありません。なぜなら、手紙の多くはマンゾーニの娘や妻など、女性たちが書いたものだからです。
 それじゃあ、どこが面白いの?となりますが、実は僕も、この本の翻訳者が須賀敦子さんでなければ、きっとこの本を手に取ることもなかったと思います。

<須賀敦子女史の翻訳作>
 須賀敦子といえば、イタリア文学の翻訳者から自らのイタリアでの体験をもとにした伝記的小説を書く作家となり、遅咲きの作家として一躍「時の人」となった作家です。今は亡きその須賀敦子さんの翻訳家としての代表作が本書でした。村上春樹のファンが、翻訳家村上春樹が手がけたレイモンド・カーヴァーやティム・オブライエンの小説を選ぶように、須賀敦子ファンとしては、是非、読んでおきたかった作品でもあります。
 実は著者の女性作家ナタリア・ギンズブルグは、須賀さんが翻訳したいと挨拶に行った時、日本で受け入れられるかどうか心配したそうです。内容は地味だし、日本では無名の作家の分厚い伝記が本当に売れるのか?と心配してくれたそうです。しかし、さすがは彼女が選んだ作品です。読んでびっくり、マンゾーニという作家とその家族の年代記という地味な内容ながら、なぜか面白くぐいぐいと読めてしまうのに驚かされました。それはたぶん、この小説が他の小説にはない新鮮な視点をもって書かれているからでしょう。

<アレッサンドロ・マンゾーニ>
 この家族の物語は、1762年から始まり、20世紀の初め、1907年まで、なんと145年に渡って書かれた年代記になっています。その中心にいるのは、19世紀イタリアの文学を代表する存在としてイタリアでは誰もが知っている作家、アレッサンドロ・マンゾーニ。彼の人気は特にミラノでは高く。イタリア統一の英雄として、子供たちも、彼の代表作「婚約者たち」を教科書などで学んで知っているそうです。日本における夏目漱石的な存在でしょうか?
 しかし、前述のようにここに掲載されているのは彼の妻や子供たちが書いた手紙ばかりで、どれにもパーソナルな通信手段として正直な気持ちや依頼が書かれています。そこには様々なゴシップや依頼ごとが、実にリアルな家族の問題が書かれています。当時としては非常に珍しい女性の視点で書かれた手紙の数々によって、偉大な作家アレッサンドロ・マンゾーニとその家族たちの人間像が浮かび上がってくる。20世紀を代表するイタリアの女性作家は、この異色の物語を見事に手紙から構築しています。男性なら手紙にも余計な虚飾があるかもしれませんが、女性たちによる手紙には実に直接的な文章表現が用いられています。
 例えば、「借金の依頼」、「病気の悩みや新しい治療法についての情報」、「遺産相続についての相談」、「土地の管理や使用人の労務管理問題」などは、普通の小説にはほとんど出てこないことばかりです。しかし、登場人物がたとえ貴族階級の名門家族だとしても、誰もが経済的に成功しているわけではなく、誰もが健康なわけではありません。実際、イタリアを代表する作家だったマンゾーニも、ダメ息子のおかげで一時は破産寸前にまで追い込まれました。そして、家族の間では、お金や病気、介護問題、財産分与問題などについて、様々な対立が巻き起こります。このあたりは、まるで向田邦子のドラマのようにドロドロした人間ドラマです。ある意味、それはイタリア版ソープ・オペラのようでもあります。

<今日につながる生き方>
 考えてみると、今から200年近い昔の話でありながら、21世紀を生きる我々とそう変わらないことで、彼らは悩み、苦しみながら生きていました。特に、病気についての記述はやたらと多く、まだ近代医学が確立される前に行われていた様々な迷信まがいの治療法や具体的な手術について、当時の人々がいかに熱心に情報を集めていたかがわかります。当時から「医学オタク」的な人がいたわけです。さらに現代医学では命がかなりの部分、お金で買えると言われますが、そうした状況は当時から同じだったこともわかり驚かされます。
 とはいえ、当時の医学はかなりいいかげんで、なかには腫瘍ができていてもう助からないと言われていたマンゾーニの妻が実はオメデタで子供を産んでしまうというありえないエピソードまであります。
 考えてみると、我々が読んできた小説の登場人物たちは、ストーリー的な必然性がないかぎり、病気になることはなく、医者に払う治療代に悩むこともありませんでした。しかし、現実の社会では、多くの人が何らかの病に悩み、多くの人が今よりもずっと若くして老い、この世を去っています。(死産も多かった)当時の社会では家族の中に病人がいないことは珍しかったようです。その点でも、この小説ほどリアルに当時のイタリア社会を描いた小説はなかったのかもしれません。そして、延々と続くこうした家族の大河ドラマは、21世紀に生きる我々にも理解しやすく、非常に感情移入しやすいとも思います。まるで、NHK朝の連続テレビ小説を見るように、「そんな馬鹿息子、もうほっとけよ!」とか「そこは正直に謝るべきじゃないの?」とか、つい突っ込みたくなる感覚になります。
 徹底的に細部にこだわることで、より大きな社会の動きまでもが見えてくる世界観の構築。これは見事です。おかげで、読者は19世紀イタリアの普通の貴族社会の一員として、国家の統一が進むイタリア社会を生きることになります。
 かつては「白鯨」や「指輪物語」のように細部から世界を構築する小説はありましたが、この作品は手紙を用いることで過去の世界を再構築してみせたということで異色の作品となりました。まったくジャンルは異なりますが、村上春樹が60件以上のインタビュー記録からオウム真理教によるサリン事件を再構築した「アンダーグラウンド」もこれに近い作品かもしれません。それは細部にこだわり、当事者の思いを汲み取ることで初めて見えてくるドラマ以上にリアルなドラマ世界です。

<女性たちの人生>
 女性たちの手紙かか構成されているからこそ、この小説からは当時の女性たちの人生が見えてきます。
 12回もの妊娠で8人の子供を生んだマンゾーニの一人目の妻エンリケッタの人生は、結婚後は出産と病いとの闘いの日々の連続で子育てさえ満足にできませんでした。それに比べると、エンリケッタ亡き後の後妻テレーサは、連れ子のステファノを溺愛し、マンゾーニの子供たちを無視し続けました。ある意味、典型的な悪い継母だったといえます。当然、周りからの評価も、エンリケッタは天使のような存在として高く評価されていたようです。
 しかし、エンリケッタが天使のような妻であったとしても、彼女が幸福だったようには思えません。かえって、テレーサの方が自分に正直に幸福に生きたように思えますし、実際、マンゾーニもまたテレーサとの生活の方が幸福そうだったとも言われているようです。
 そして、女性たちの場合、出産の連続と子育ての苦労を終えると、そこにはもう人生のゴールしかない。それが普通だったのです。

<さよならだけが人生さ>
 当時としては、珍しく88歳という年齢まで生きたマンゾーニは、妻や友人だけでなく、娘た孫たちの葬儀にも数多く出席することになり、そのたびに墓碑銘を書くことになりました。長生きするということは、ほとんどの友人や知人、家族を失うことの繰り返しであり、けっして幸福なことではなかったのです。
 今から200年前の社会では、平均年齢では今の半分くらいかもしれません。そうなると、「生と死」のドラマもまた自ずと半分に凝縮され、おまけに母親は何人もの子供を産むのですから、平穏無事な人生のひとときがどれだけあったことか?
 それに比べると現代人は独身で一人暮らしが長ければ、「生と死」に関わることのない時間が長く、その分自由に生きられるのかもしれません。濃い人生と薄められた人生、どっちが幸せなのでしょうか?
 この小説の中には、家族への愛情をつづった手紙も数多く登場します。そこにはお金の問題や血のつながりとは関係のない家族としての愛情や深い友情が今ならはずかしいくらいに熱く表現されています。人生が半分に凝縮された社会では、もしかすると愛憎は倍の濃さに濃縮されていたのかもしれません。限られた社会を生きる人々にとって、生きることがより濃いものになるのは当然でしょうから。
 そう考えると、「幸福」の重さもまた倍くらいあったかもしれない。そんなことも考えさせられてしまいました。

マンゾーニ家の人々 La Famiglia Manzoni 1983年
(著)ナタリア・ギンズブルグ Natalia Ginzburg
(訳)須賀敦子 Atuko Suga
白水社

<あらすじ>
 19世紀イタリアを代表する作家、アレッサンドロ・マンゾーニの母親、ジュリア・ベッカリアは1762年ミラノに生まれました。父親のチェザレは軍人でしたが「犯罪と刑罰について」という論文を書き有名になった知識人でもありました。
 裕福な家ではなかったこともあり、彼女はやはり同じぐらいの家柄の人物ドン・ピエトロ・マンゾーニと結婚。その長男として、1785年3月7日に生まれたのがアレッサンドロ・マンゾーニでした。両親が不仲だったこともあり、彼は生まれるとすぐに里子に出されています。
 そのため、彼はほとんど父親を知らぬまま育ち、父親になってからはついつい子供たちを甘やかすことにつながったのではないか、とも言われます。実際、彼の二人の息子たちエンリコとフィリッポはどちらも仕事に失敗しただけでなく、父親を頼って借金を重ね、ほとんど破産状態にさせることになります。
 マンゾーニは1808年にエンリケッタ・ブロンデルと結婚。エンリケッタは、その後、12回の妊娠により8人の子供を生みますが、常に健康に悩まされていて、子育てと出産を繰り返した後、42歳の若さでこの世を去りました。その間、マンゾーニは彼の代表作となった「婚約者たち」を発表。一躍、イタリアを代表する作家となり、オーストリアからの独立運動において、その思想的指導者として国民の多くに指示される存在となりました。
 妻を亡くした彼は、1837年、やはり夫を亡くしていた未亡人テレーサと再婚します。しかし、連れ子のステファノを溺愛する彼女は、他の子供たちを放りっぱなしで自由に生きる女性でした。そのうえ、マンゾーニの子供たちは、放蕩の末に父親の財産を食いつぶし、そのためマンゾーニ家は破産寸前に追い込まれることになります。その危機は、彼を支持する人々らのおかげでなんとか切り抜けることができました。
 その間、オーストリア軍を追い出したイタリア国民は、念願となっていた統一と独立を果たし、彼はそうした運動の中心的存在として統一の英雄となりました。しかし、作家として思想家としての成功の裏で、彼は常に家族の様々な問題に悩まされ続けていました。

20世紀文学大全集へ   トップページへ