
- マイケル・ジャクソン Michael Jackson -
<おとぎ話を生きる男>
マイケル・ジャクソン、生きながらおとぎ話の主人公になった男です。
アルバム「スリラー」は、全世界で5000万枚以上が売れています。
ディズニー・ランドを1人で借り切ったなんて言う話しは、彼にとってはたいしたことではないかもしれません。
彼は以前、ビートルズの楽曲すべての権利を所有していました。(その他にもスライや数多くのミュージシャンたちの権利を買い占めています)
シングル「スリラー」のビデオ・クリップは、「ブルース・ブラザース」などで有名な映画監督のジョン・ランディスが監督し、制作費には80万ドルという巨費が投じられました。
全9曲のアルバム「スリラー」からは、全米チャートのベスト10になんと7曲がランク・インし、グラミー賞では、史上最高の8部門での受賞という快挙を成し遂げました。
マイケルについての事件なら、どんな突飛な記事が新聞に載っても不思議はないでしょう。それよりも不思議なのは、数多くの悪い噂が彼について流れているにも関わらず、彼自身は、ほとんど非難されたり罰を受けたりはしていないということです。マイケルなら人前で殺人を犯したとしても、有罪にならないかもしれません。(明らかに有罪だったと言われているアメフトのスーパー・スター、O.J.シンプソンの裁判ですら無罪になったのです。もし、彼が有罪になろうものなら国内が大混乱になることは必至でしょう・・・)
しかし、よく考えてみると彼は伝説を作ったというよりも、自分自身を中心とするおとぎ話の世界を作り上げたと言った方がよいような気がします。その実績は、かつてのビートルズがやってのけたことに匹敵するスケールの偉業と言って良いかもしれません。ただし、ビートルズが自分たちの世界を外へ向けてしだいに広げて行き、ついには解散に至ったのに対し、マイケルの世界はしっかりと閉じられていて、外部の者の侵入を許さないのです。それは外から眺めるための世界なのでしょう。そう、それは彼にとって最も居心地の良い場所、エンターテイメントのステージを巨大化したものなのです!
<ステージ・チャイルド>
マイケルはまさにステージで育てられた子供だと言って良いでしょう。1958年インディアナ州に生まれたマイケルは、かつてバンドをやっていた建築作業員の父、ジョセフ・ウォルター・ジャクソンの9人の子の5番目でした。父親は教師だった祖父により、厳格なルター派(キリスト教プロテスタントの一派、厳格ではあるがけっして特殊ではない)の教育を受けていたので、マイケルと兄弟たちも同じように厳しくしつけられていました。
しかし、兄弟たちに音楽の才能があることがわかると、父親は兄弟たちのマネージャー兼音楽の指導者としても、今まで以上に厳しい教育をほどこすことになります。(この父親の存在は、ビーチ・ボーイズにおけるブライアン・ウィルソン、それにマーヴィン・ゲイのことを思い出させます。彼もまた父親の影響で人格形成に歪みが生じた人物なのかもしれません)
そして、兄たちがグループを作って歌い始めるとマイケルもその一員となり、彼が5歳の頃にはもうセミ・プロの歌手として街のいろいろなところで歌を歌うようになっていました。
「ステージに上がると、何が起こっているのかわからなくなる。ほんとだよ。とてもいい気分になって、そこが僕にとって、この世で一番安全な場所みたいな感じがするんだ」
1977年のマイケルのインタビューより、「ロック伝説」ティモシー・ホワイト著
<ジャクソン5デビュー>
彼らはインディアナ州ゲイリーの街を中心に活躍を続けていましたが、ダイアナ・ロスやグラディス・ナイトらがたまたま彼らの歌を聴き、モータウンへと推薦してくれました。さらにヴァンクーバーズのリーダー、ボビー・テイラーが彼らに目をつけモータウンのオーディションを受けさせたことで、ついに当時黄金時代を迎えていたモータウンとの契約が実現したのです。元々プロとしての実績があった彼らはモータウンのNo,1ヒット・メーカー、ホランド=ドジャー=ホランド(H−D−H)の素晴らしい曲を得て、すぐにその才能を開花させました。
1969年"I Want You Back"でいきなり全米ナンバー1に輝き、さらに続けさまに3枚のナンバー1ヒットを放ちます。("ABC"、「小さな経験 The Love You Save」、"I'll Be There"どれも1970年)
<モータウン最後のスーパー・スター>
彼らはモータウンが育てた最後のスーパー・スターでしたが、それまでのアーティストたちとは、ちょっと状況が違っていました。モータウンのほとんどのアーティストたちが、カリスマ的なワンマン社長、ベリー・ゴーディー・Jr.のことを社長というよりは父親とみなしていたのに対し、ジャクソン5にはすでに同じように強いカリスマ性をもつマネージャーである本物の父親がいたのです。そのうえ、彼らがスターになった頃、すでにモータウンはピークを過ぎ下降線をたどり始めていたのです。モータウンの大黒柱だったH−D−Hは、彼らがデビューしてすぐモータウンを去ってしまい、彼らのようなヤング受けする曲をかけるライターがモータウンにはいなくなってしまいました。
まして、黒人アーティストに対する他のレーベルの対応はどんどん良くなっており、モータウンは自立した黒人のアーティストたちにとって、それほど魅力のある企業ではなくなっていました。(かつては、数少ない黒人企業ということで人種差別のない素晴らしい企業だったのですが、残念ながらベリー・ゴーディー・Jr.は、けっして従業員に対して優しい企業家ではありませんでした)抜け目のないマネージャーである彼らの父親がそのことに気づかないないはずはありませんでした。
彼らは先ず自らの手でアルバムを制作する権利を得ますが、最終的にはモータウンからエピックへの移籍を断行します。(当然、その間には訴訟問題がおき、ジャクソン5ではなくジャクソンズと名乗らなければならなくなったりもしました)
<ソロ活動の開始>
モータウンにいた時点でマイケルは、すでにソロ・アルバムを発表していましたが、それは外部から呼ばれた大物コンビ、ギャンブル&ハフ(フィラデルフィア・ソウルの大御所)などを中心に作られたもので、マイケルの才能はほとんど活かされていませんでした。("Music&Me"(1973年)、"Foever Michael"(1975年)など)しかし、エピックへの移籍第1弾"Off The Wall"(1979年)では、いよいよマイケルが曲作りでも、その中心となり、それをプロデューサーのクインシー・ジョーンズが活かすことで、黒人音楽の枠を越えたアーティストへの第一歩を踏み出すことに成功しました。シングルとしても「今夜はドント・ストップ」、「ロック・ウィズ・ユー Rock With You」、「オフ・ザ・ウォール Off The Wall」が、どれも大ヒットしましたが、それは次回作「スリラー
Thriller」の驚異的ヒットの前では前座にしか過ぎませんでした。
<怪物アルバム誕生!>
「怪物アーティスト」マイケル・ジャクソンの誕生は、まさに「スリラー Thllier」(1982年)からでした。プロデューサーは、前作に続きクインシー・ジョーンズ。二人は「スリラー」をただ単なる音楽作品集とはせず、続々と発表されるビデオ・クリップやマイケルのニュースネタも含めたメディア・ミックス商品として売り出すことに成功しました。
そして、そのメガヒット商品最大の売りは、整形手術によって生み出されたマイケルの新しい顔でした。その話題性はスリラーの特殊メイクを子供だましにしてしまうほどでした。
こうして、彼は音楽業界の戦略を大きく変えました。それどころか音楽業界がCD以外の分野、MTV、映画、テーマパークのアトラクション、コマーシャル、出版、ニュース番組などなど、あらゆるメディアを含めた巨大産業へと発展するきっかけを生み出したとも言えるでしょう。
「怪物スター」は、確かに世界を変えたのです。
後で考えると、彼の顔の不気味なまでの変化は、そのまま世界のショー・ビジネス界の変化でもあったのかもしれません。
<世界に飛び出した「かかし」>
ジャクソン・ファミリーという小さな家族社会から、モータウンという黒人中心家族的企業社会を経て、ついに世界に放たれたマイケルは、それまで閉じこめられていた潜在能力を一気に爆発させたのです。
彼はかつてダイアナ・ロス主演の映画「ウィズ」(「オズの魔法使い」の黒人版)にかかしの役で出演しましたが、その役についてこう言っています。
「・・・かかしは脳味噌を持っている。自分には脳味噌がないと考えているけど、実はちゃんとあるんだよ。ずっと持っているんだけど、本人が知らないだけなんだ。とにかく、それを表現することが大切なのさ」
またこうも言っています。
「・・・鏡の前でかかしになりきって踊り続けることがある。それとか、夜にベッドから起き出して、鏡の前でいくつかの動作をしてみたりね。それを始めると、頭の中はかかしの世界でいっぱいになる。安らぎを感じるんだ。まるで、そう魔法のように」
彼はこの後、長年押さえ込まれてきた父親の元を去り、一時は彼の母親の影響でのめり込んでいた新興宗教「ものみの塔」(キリスト教の異端派、子連れで勧誘に現れるので有名)からも脱会しました。そして、数々のゴシップを生み出す世界一謎めいた人物となっていったのです。
例えば、彼は1977年のインタビューで、インドの飢餓についてきかれて、こう言っています。
「「餓える」っていうのが実際にどういうことなのか見てみたいんだ。聞いたり読んだりするんじゃなくて、この目で見たいんだよ」
なんという純粋な心でしょう!この時、彼は19歳か20歳だったはずです。その後の20年で彼は世界各地をツアーで回ったはずですが、彼にとって世界はどんな存在となっていったのでしょう。そして、彼が自らの死の瞬間、世界を、家族をどう思いながら旅立っていったのか?
<魔法の力をもつエンターテナー>
遊園地付きの豪邸と自家用ジェット、使い切れないほどの財産をもつ夢のような生活。
「マルコビッチの穴」とうい映画がありましたが、もし「マイケルの穴」があったとしたら、あなたなら飛び込んでみますか?それにしても、すでに「40歳」を過ぎたマイケルは、これからいったいどのように歳をとってゆくのでしょうか?(「40歳」がキーとなるのは、「マルコビッチの穴」の話しですが・・・)彼ならもしかすると整形手術を越えた何か新しい方法でその老化を抑えてしまうのではないのでしょうか?遺伝子操作や肉体のサイボーグ化、それがダメならクローン人間への記憶の移植や冷凍保存による時間旅行など・・・彼ならけっしてありえないことではないかもしれません?
いや待てよ、もしかすると彼はすでにタイム・トラベルを経験しているのかもしれません。
整形手術によって肉体の老化を止め、遊園地という空間に閉じこもることによって精神の老化も止めてしまった彼にとって、時間は止まっていると言えないでしょうか。「彼の体内時計」が進むのは、彼がステージの上に立っているわずかの時間に限られるのかもしれません。
だからこそ、彼はその史上最高のエンターテナーとしての才能を30年以上にわたって保ち続けているのかもしれません?
<追記>
「マイケル・ジャクソンの真実」見ました。初めは、大笑いしながら見ていましたが、だんだん怖くなってきました。しかし、マイケルはある意味未来の人類なのかもしれません。それに、マイケルは、子供たちとの性的な交渉など望んではいないのかも・・とも思いました。彼は本当に「純粋」なのかもしれません。
問題は、彼が「愛」を表現する方法をまったくわかっていないことなのです。彼自身愛を受けていなかったのですから、それはある意味仕方のないことなのですが・・・。
これが映画なら、あまりに馬鹿げた話し過ぎて、だれも信用しないかもしれませんね。
<締めのお言葉>
「彼は大突然変異のほとんどは災厄的なものとみるほかないとし、それらを「怪物」と呼んだ。しかし、時たままったくの幸運で、ある一つの大突然変異がある生物を新しい生活様式へ適応させるようなこと−彼はそれを「前途有望な怪物」ホープフル・モンスターと呼んだ−もある、と彼は論を進める。大進化はこうした前途有望な怪物たちがまれに成功することによって進むのであり、ある個体群の中での小さい変化の積み重ねによるのではない、というのである」
リチャード・ゴールドシュミット著「進化の物質的基礎」についてより
<ご冥福をお祈りします>
かわいそうなマイケル。死してなおスキャンダルまみれなんて。もう放っておいてあげればいいのに。
ステージ上で燃え尽きるために用いた薬は、確実に彼の寿命を縮めてしまったようです。エルビスも、ジミヘンも、ジャニスも、命を激しく燃やすためにその寿命を犠牲にしてしまいました。でも、それは彼らが選んだ道です。周りがとやかく言う問題でありません。
天国では、きっと普通にみんなと遊園地で遊べるはず、好きなだけ遊びなさい!
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