「ニッポンの小説 百年の孤独」

- 高橋源一郎 Genichiro Takahashi -
 

<日本の小説史を直球で>
 「ニッポンの小説」というタイトルに偽りはありません。近代日本文学の誕生から現在に至るまでの小説の歴史、現在の危機的状況までを、数多くの作品解説とともに語りつくした直球ストレートの剛速球作品です。そのボリューム、強烈な批判精神は圧倒的で、ここで紹介するのはそのごくごく一部であることをご理解の上、是非「本編」をお読みいただきたいと思います。
 ここでは、そこに書かれている内容を僕なりに大きくいくつかのテーマに分け、そこから大切と思われる文章などを選びつつ、歴史の流れにそうようにして並べてみました。

<人間、そして文学の誕生>
 先ずは、哲学、宗教学者として活躍する中沢新一の「芸術人類学」に書かれている「人類の誕生」についての記述からどうぞ!

 妄想とは「心の内面で考えたことと外界の現実が、対応関係を見出せない状態のこと」だとするなら、人類は、「ラスコーの洞窟」の中に入って、はじめて、「妄想」を体験したのです。
 洞窟は真っ暗な闇の世界でした。他の動物なら恐怖しか感じません。おそらく、「旧人」たちもまた、真の闇に接する時、ただ名状しがたい恐れを抱いただけだったでしょう。しかし、「彼ら」は違いました。なにも見えない闇の中で、自分の内部に、はじめて発見された「心」というものを覗きこんだのです。

中沢新一「芸術人類学」より

 「妄想」から「l心」を見出した人類は、「心」をどう扱うべきかできっと悩み混乱したことでしょう。

・・・私たちは自分の心のほんとうの部分、心のいちばんの源泉になっている部分を抑圧しなければならないのです。それが心の活動の表面にあらわれてこないように「深層」に沈めたり、その活動に制限を加えようとします。そうしないと「合理的」な行動ができないからです。
本文より(以下、黒文字はすべて本文からの引用です)

 「流動的な心」のなすがままにしておくなら、人間というものは、持続的に存在することはできません。そのような種類の、生きものの共同体が存在することは不可能でしょう。
 そこで、人間は、その共同体を存続させるために、ある方法を編み出しました。というか、編み出さざるを得なかったのです。いうまでもありません、それが、言語によるコミュニケーションだったのです。

 「人間の誕生」とは「合理的な人間」の誕生であり、それは「妄想」の制御から始まったというわけです。そして、「妄想」を制御するために生み出されたのが「言葉」というコミュニケーション・ツールでした。

中沢新一「芸術人類学」より

 ただし、「言葉」は「妄想」を制御できると同時に「妄想」を生み出すこともでき、それを用いることで「武器」にもなりうる。これもまた忘れては行けない重要なことです。

 だから、「テロ」という言葉ではなく、ほんとうはもっと別の言い方を採用するべきなのです。たとえば、「彼らはテロリストだ」というのではなく、「彼らを殺してやる」とか「彼らが憎い」とか「彼らのすべてが嫌いだ」というべきです。あるいは、「テロを許さない」というのではなく、「やつらを抹殺してやる」というべきなのです。なぜなら、「テロ」という言葉には、そういう意味しか、そういう使い方しか存在しないからです。

 知らぬ間に本当の意味からはずれて使われている「言葉」が世の中にはいっぱいあるはずです。
 たとえば、「原発(ゲンパツ)」という言葉があります。「原子力発電所」が原子力を用いた発電所であるのは当たり前のことです。ところが、「原発(ゲンパツ)」と縮めてしまうことで、それは「原子力発電所」とは別物の新しい安全な発電所のひとつに聞こえてしまうのです。
 こうして、言葉を操ることで社会全体を操る方法については、小説「1984年」でジョージ・オーウェルがすでに書いていました。それにR・C・サクセション(忌野清志郎)も、アルバム「カバーズ」収録の「サマータイム・ブルース」で「ちゃんと原子力発電所と呼びましょう!」と歌っていました。

<言葉から文学へ>
 初めに「言葉」ありき。そして、「言葉」が誕生した後には「文学」が誕生することになります。
 先ずは「文学とはなんぞや?」から始めましょう。

 ところで、「文学」とは何でしょうか。
 実のところ、それに答えることは、特に困難ではありません。いや、これ以上簡単な問いは考えられない、とさえわたしは思います。この問いの答えが何なのか、誰だって知っているのです。「文学」とは、遠くにある異なったものを結びつける、あるやり方のことです。なぜなら、「文学」は、言葉だけで出来ていて、しかも、言葉とは、要するに、遠くにある異なったものを結びつけるために出来たからです。
 言葉は、物と観念を結びつけます。名前と事象を結びつけます。存在しないものと存在するものを結び付けます。関係づけることが不可能に見えるものを、いとも容易に関係づけます。そして、なにより、あなたたちとわたしを結びつけます。我々がコミュニケートするためには言葉が必要なのです。そして、それ故に、コミュニケーションを完全に断ち切ることも、言葉には可能なのです。


 文学とは「言葉」だけでなく「文字」を用いることで、より広い範囲での「コミュニケーション」を可能にさせうる存在。そうも言えると思います。ただし、文学の中の世界はあくまでも「妄想」の世界であることをお忘れなく。そこにのめり込むことは、現実を見る目を曇らせ、あやまった方向へと向かわせる危険性を合わせ待っているのです。

 いや、小説というものは、熱心に読むことによって、実は、その可能性や豊穣さを失っていくという奇妙な性質を持っている、といいたいのです。なぜなら・・・まず、世界が存在しているからです。あるいは、小説にとっての「外部」が。そして、その世界を、「外部」を読み解くために、小説が存在しているのであって、小説を、あるいはテキストを読むために、世界が存在しているのではない。そう、わたしはいいたいのです。
 あるいは、ある作家の洒落たいい方に倣うなら、世界と小説との戦いでは、世界の方に加担せよ、といいたいのです。


 「文学」は、書かれた内容だけでなく、その文学という構造によって読者を「文学による世界の支配者」にしてしまう可能性を秘めています。
「人は知らぬ間に文学的世界観でしか世界を見ることができなくなっている!」と著者はいいます。
 では、文学的世界観もしくは文学的な世界認識とは何でしょう?
 たぶん、その中で最も有名な文学的世界認識手法は「リアリズム」かもしれません。

 「リアリズム」とは、視覚的な何かに関するものです。「近代文学」は、「リアリズム」という、長い間欲してきた最良の武器を手に入れ、表現として最高のステージに到達することができました。
 目に見えぬものすら、見えるように描くこと。それは、ほとんど全世界を手に入れるに等しいことでした。だから、彼らは、もしかしたら存在していないかもしれない「死者」さえ、目に見えるように描こうとしました。


<世界認識とその記憶法>
 あなたは目の前に広がる風景をどんな風に見ているか、そしてそれをイメージ化しているか、意識したことがありますか?
先ずは見えるものを羅列しますか?「白い家」「青い車」「香ばしい香り」「やかましい子供」・・・・とか。
 では、それをどんな風に記憶しますか?
その様子を文章化して、文字として覚えますか?それとも、一枚の絵として画像認識することで記憶しますか?
 では、それをどうやって人に伝えますか?

・・・だが人はいつも「白い屋根の家が、何軒か、並んでいる」という順序で知覚するものだろうか。実は「何軒かの家だ。屋根、白い」あるいは「家だ。白い!」との知覚をしたのに、散文を書くために、多くの人に伝わりやすい順序に組み替えていることもあるはずだ。・・・
 では、なぜ、そんなことが起こるのか。
 それは、ぼくたちが、ものごとを表現する仕方を、そのようなものとして習ったからだ。ものごとを、ことばで表現する、ということは、要するに、「白い家がある」と書くことだ、と習ったからだ。


 その非現実を現実と思い込ませる精神のスタイルを、ぼくたちは、いま、仮に「散文」と呼んでいるのである。
 だから、ぼくたちは、なにかを見ても、なにも見てはいない。なにかを聞いても、なにも聞いてはいない。ぼくたちは、目の前にある、そのものではなく、別にあるもの、想像が作り出した、秩序だったものを見る、あるいは聞く。そのような、間接的な行いのことを、ぼくたちは、「見る」あるいは「聞く」と称してきたのだ。

 こうした世界認識の問題は、音楽についても同じようなことがいえます。当然、「音楽」の場合は、「耳と脳」を用いたまた別の世界認識が行われています。このことについては、現代音楽界の巨匠ブーレーズの言葉があります。

 音楽において、時間の知覚、モジュールの知覚はまったく異なり、絵画の場合よりもはるかに瞬間というものに、それも取り返しのつかない瞬間に基づいている。一枚の絵画が作り出す空間を前にすると、たとえそれがチェス盤の空間のように分散されたものであっても、視覚作用は原則的にまず全体的なものである。・・・・・
 音楽において、時間という要素、時間のモジュールは既座に感覚に語りかけ、瞬時に知覚される。音楽作品が現実に見通されることはけっしてなく、その知覚はつねに部分的である。総合は、後になって、仮想上のものとしてしかおこなえない。

ブーレーズ
 もちろん、そんな能力を、ぼくたちが生まれついて持っているわけではありません。ぼくたちは、そのような耳になるよう、絶え間なく、訓練されているのです。

<ニッポンの近代文学>
 こうして生まれた文学は、世界中で発展を遂げます。もちろん、日本でも独自の文学が生まれますが、現在我々が目にしている文学スタイルは、ある時、突然、誕生したものだといいます。それも、ごく小さな範囲に住む、ごく少数の人々が始めたことなのです。

 「ニッポン近代文学」という集落があったことは、もうお話ししました。それが都市ではなく、集落であった証拠があります。その一つは、その場所はひどく狭かった、ということです。
 大雑把にいうなら、このマンハッタンほどの広さのところに、彼らは全員が住んでいたのです。そして、面白いことに、彼らの多くは、トウキョウ帝国大学でした。つまり、マンハッタンのあちこちに固まって住んでいるコロンビア大学の学生たちが、ある時、一つの国、一つの「文学」ジャンルを産みだしたようなものだったわけです。


 もちろん、それはまったくのゼロから生み出されたものではありませんでした。それは、アメリカでもなく、オランダ、イギリスからでもなく、意外なことにロシアからもたらされた文学が大きなヒントになっていたようです。

 ドッポもまた、卵から孵ったばかりでした。そして「なにか新しいこと」、つまり、自分の親になるべきなにかが現れるのを、大きな目を開けて眺めていたのです。
 ドッポというカモの子の親になったのは、一冊の翻訳本でした。フタバテイシメイが明治二十年頃にツルゲーネフをロシア語からニッポン語に翻訳したものが、およそ十年たって、ようやく一冊の本になったのです。それがドッポの前に置かれていたのは全くの偶然でした。
 その本を、ドッポの机の上に勝手に置いていった作家志望の青年の名前はタヤマタカイといい、そもそも、この二人はその日初めて会ったばかりだったのです。


 では、ロシアからやって来た文学が、日本の文学にもたらしたものは何だったのでしょうか?
「文体」?「言葉」?いや、それはどうやら文章が描き出す「世界観」だったのかもしれません。

 フタバテイの「文」、フタバテイがツルゲーネフから、ロシア語の散文とその精神から作り出した「文」の内部では、いったい何が起こっていたのでしょうか。
 思うに、すべてが捨てられたのです。
 たとえば、「吾は何ぞ」というような問いが捨てられました。
・・・そして、最後に残ったのは、ロシアの風景でした。では、そこには「自然」しか残らなかったのでしょうか。
 違います。それを見ている「わたし」もまた残ったのです。

 新しい世界観を生み出すためには、それを形づくるための新しい様々な概念が必要でした。そうした新しい概念もまたロシアを初めとするヨーロッパ各国から次々にもたらされることになりました。

 十九世紀の末に、西洋から大量に輸入された物と言葉と観念は、大きな衝撃を、ニッポンの人たちに、与えました。
 たとえば、当時、もっともすぐれた詩人で評論家だったキタムラトウコクという青年が触った「氷」は”LOVE”でした。
 もちろん、誰かを「好きだ」という感情や、「性欲」は存在していました。しかし西洋流の独立した男女の(それが建前かもしれないにしても)”LOVE”という言葉は、神に知りませんでした。結局、彼らは、前者には「愛」という訳語をあてました。しかし、ほんとうのところ、彼らは、その言葉にどんな意味があるのか、知らなかったのです。


<最近の小説>
 明治初期に誕生した近代日本文学は、その後、様々な作品を生み出しましたが、順調に発展してきたといえるのでしょうか?

 わたしは、「ニッポン近代文学」の始まりの頃の小説を読みながら、よく、どうして、彼らは「恋愛」のことばかり書くのだろう、それから、自分の「内面」のことばかり興味があるようだが、どうかしているんじゃないだろうか、と思っていました。そして、どれもこれも、ひどくいい加減な小説ばかりじゃないだろうか、と思ったのです。
 たとえば、「死」について書くことになっているはずなのに、肝心の「死」の部分は、「空白」にして、その前後、誰かが死んだと書き、それから、風を吹かせたり、虹を細密に描写したりすれば、なんとなく、「死」について書いたような気になってしまうのは、その作家個人の責任ではありません。
 小説というものは、そういうものだ、と作家たちが考え、それから、読者もまた考えてきた、その結果なのです。
 しかし、「死」というものが描けないとするなら、他の何なら描けるというのでしょう。「社会」や「私」や「戦争」や「家族」のことなら大丈夫なのでしょうか。


 どうやら著者は「文学」がその後、自らその進化、深化をおこたってきたと考えているようです。

 わたしの考えでは、文学は、というか「近代文学」は、ずっと楽をしていたのです。書くべきテーマは、いつでも次々と、現れました。「近代」とは、「中世」の後に来る時代区分のための用語なのではなく、つつき回すべき問題が絶えず目の前に出現する、そんな時代のことをいうのです。

 文学者の多くは、自分たちが自由にテーマを選択し、自分だけの文体によって、それを表現していると考えていましたが、実はそうではない。彼らはある種の「規則」のもとで書いていたことに気づいていないだけのことだった。文学者たちは、「時代を描く」という作業こそ文学に与えられ最大の使命であると考えていたようです。しかし、それでいいのか?と著者は指摘します。

 「規則」には、いくつかの段階、あるいは審級があります。そして、いま、わたしが考えているのは、ニッポン近代文学、そこで使われてきた、いまも使われている言葉、それらを従わせている「規則」のことです。
 しかし、作家たちは、それが「規則」だとは思っていません。彼らは、自分が、自由に、自分自身の意志で作品を書いたとすっかり思い込んでいるのです。
 彼らがそのことに気づかないのは、彼らのせいではありません。彼らの前に現れるどの文も、同じ「規則」に従っているとするなら、どうして、「規則」というものが存在すると思えるでしょう。・・・


 それは「規則」であると同時に「権力」とも呼びうる存在でした。

 わたしは、「文学」というものの大半が、わたしの前に「文学」と称して現われるものの多くが、その「文学」というものが否定している当の相手に、たとえば、「権力」に似ていると感じていました。それは、どちらの語法にも共通する何かのせいです。そして、それが「存在論の語法」とでも呼ばれるべきものであることを、わたしたちは、いま知ったばかりです。
 わたしたちは、言葉を使って、何かを支配しようとします。あるいは、言葉というものには、それを使う者に、何かを支配しようと無意識に思わせてしまう何か、そんな力がある、といっていいのかもしれません。


 戦後文学の作家たちの多くは、反戦の思いをこめて数々の名作を生み出しましたが、彼らもまた自由にテーマを選んだというよりも、時代の要請によって選ばされたのかもしれません。

 たとえば、「戦後文学」を支えた作家たちは、「死者の代弁者」であることを自らの責務として、また、誇りとさえ思いました。「戦争」と「死」、「自由」と「内面」、について語って飽きませんでした。彼らの言葉は「生きて」いて、多くの読者に、そして、遥か遠くにまで届いているように思えたのです。
 時が流れ、やがて現れたのは「関係ない」という言葉でした。


 かつて文学は自らその作品の中で「言葉」を生み出す努力をしていたと著者は指摘します。創造的な文学は、そこにある「言葉」を並べ替えるだけでなく、自ら新しい世界観のために必要な「言葉」を生み出すものなのだと。

 日本語について嘆く人たちがいて、日本語について勉強する人がいる。しかし、日本語を「作る」人は、あまりいないのだ。

 「社会」ということばは存在している。しかし、それが作られたものであることを、ぼくたちは、忘れている。それが、かつて、「人間交際」と呼ばれていたことを、忘れているのである。

(明治期には、ヨーロッパ文化にあわせて、様々な「言葉」が作られています)

<21世紀、文学の現状>
 では、21世紀の今、文学の現場はどうなっているのでしょうか?自らが小説家として作品を発表している著者にとって、ここからはある意味、まわりの作家たちへの批判ともなる部分となります。
 考えてみると、よくぞここまで厳しく書いたものです。これは本当に偉い!それだけ熱く小説を愛しているということの証明なのですが・・・。

・・・読者の好みに合わせて書く、という点では、詩人や「純文学」の書き手も、まったく同じです。ただ違うのは、エンターテイメント作家たちは、自分が、読者の好みに合わせて書いているということを自覚しているのに、詩人や「純文学」の書き手は、そうではないと思い込んでいることだけです。

 いまの小説はさまざまな違いを乗り越えて、いわば「アメリカの話からはじめる人の菊地寛の話」のバリエーションであり、読者もそれを望む。彼らもそうした流儀の輪のなかで毎日ものを見ているからだ。・・・

 散文と作者の関係は、目に見えない。それは感知するしかないものである。小説を書く、という行いを通じて、秘かに触れることのできるものである。そのような、脆くも、儚いものを、作者も読者を知ろうとはしなくなったのである。

 ノンフィクション化するのは作家たちが自分をもとにした人物造型が不可能になったためだろう。簡単にいえば生き方が平均化し、自分のほうには書くことがない。それでも自分らしさを出したいために、人生をすでに完結させた他人のなかに、自分のイメージを探し出す。・・・

 確かに最近の小説には丹念に下調べをして描かれた歴史小説的なものが多い。そこには、著者自身はけっして登場せず、物語はノンフィクションの再現ドラマのように展開しています。(このサイトはまさにその究極の形かもしれません・・・)

 やがて、分業が進み、小説家と読者の距離がどんどん開いていった。いまはどうか。考え(たく)ない小説家が、考え(たく)ない読者のために、小説を書く。

 今や、文学は様々なものをなくしつつあると著者は指摘しています。そのひとつとして「緊迫感」があげられています。

 持てないのは、政治や、時代の、緊迫ではない(こともない)。なにより、小説への緊迫が持てない。だからといって、ない緊迫、は持ちようがないのだ。
 それはいい。
 問題は、思わぬところに出てくる。「視力失う」のである。


 さらに重要なものとして、文学はいま「展開」を失くしつつあるとも指摘されています。

 展開とは作者が好きなようにすることではない。作者がつくりあげたこと(それはそのときから読者のもの)から目を離さないことである。そうなれば線路はつづく。

 「ニッポンの小説」の文章から、「展開」がなくなった、と荒川さんは書く。では、なぜ、「展開」がなくなったのか。それは、世界(社会)から、「展開」がなくなったからだ。なぜ、そんなことが起こるのか。それは、小説(文章)というものには、世界(社会)が浸透しているからだ。

 最後の最後には、これでもか!という言葉が登場します。ある意味、著者の代わりとなって文学批判を続けてきた詩人・評論家の荒川さんの言葉をこうまとめているのです。

 思えば、荒川さんの観察日記は、「ない」の連続であった。「ニッポンの小説」から、失われていったもののリスト、行方不明者のリストの如きものが、そこにはあった。
 たとえば、「情がうすい」、「話がない」、「考えさせない」、「書くことがない」、「開いていない」、「書いている場合ではない」、「緊迫感がない」、「二人しかいない」、「みたない」、「興味がない」、「何者でもない」、「存在価値がない」、「覚えていられない」・・・
 それに加えて、「思考なし。想像力なし。責任なし。つつしみなし。表現の工夫なし」。
 なにもかもなくしてしまった。それでは、残るものなど、ないではあえいませんか。まさに、「ニッポンの小説」の自己破産。


<21世紀、文学の未来>
 じゃあ、「ニッポンの文学」はもう消える運命にあるのでしょうか?
 新たな「文学」を生み出すにはどうすればいいのでしょう?
 もちろんそのためには挑戦し続けることが必要であり、それを行い続けている作家と確かにいると著者は指摘しています。例えば、難攻不落のテーマ「死」の描写に挑み続ける作家もいます。

 「死」が絶対の他者であることを、どのようなやり方をもってしても、描きえないことを、作者はよく知っています。
 だが、それにもかかわらず、小説という散文芸術が、仮に敗北が約束されているにせよ、この難攻不落の城を攻め落とそうとするなら、無数の「細部」を通してしか、危険を知りつつ、「死」というものに自ら近づくことによってしか、方法がないことを、「近代小説」百年の歴史の終わりに、作者は、示そうとしたのです。


 時代の流れから離れ、独自の世界観にこだわり続けることも、文学を再生するために必要不可欠な条件かもしれません。

 人間というものをより深く知るためには冷静にならなくてはならない。そのために自分を「時代から切り離したい」と思うのは自然なことだ。そのような欲求を本能的にそろえる屈強な人物こそが、勤勉に、雑多に仕事をする。そしてこのように時間に追われた人ほど、結果として人間のためにいい仕事を残す。緊張感からすぐれたものが生まれていくのだ。だがそれは時流に乗った活動と、印象的には紙一重であり、区別はなかなかつきにくい。そうした「現在を分離する意識」をもつ人を読者はきちんと見抜く必要があるが、同時代にその目をもつ人は少ない。・・・

 「言葉」を「意味」を表現するためのツールとして用いるのではなく「価値」を表現するためのツールとして用いる。これは「詩」の世界における表現方法に近いのですが、そこに立ち返る必要性について書いているのは、評論家の吉本隆明氏です。

 <−は−だ>という数学的な表現を、<意味>だけで出来上がった極限だとすれば<−はまるで一軒家だ>とか<一本杉だ>とかいう表現は<価値>だけでできた表現の極限だといえる。
 わたしたちの意識の奥底には、どんなふうに言葉で述べても言い尽くせないものが必ず残っている。また意識がどんなに言葉で表現しようとしても、その意図に従わない無意識の欲求もありうる。この言い尽くせないものを言い尽くそうという願う精神があるかぎり、言語を<意味>でなくて<価値>で表現しようとする詩の本質にまつわる欲求が存在しうるというほかない。
 それが文学のような言語の表現を芸術たらしめようとする欲求に当たっている。


 「詩」という「小説」とは異なる文学スタイルには、よりパーソナルであるがゆえの独自性が存在します。

 詩を書く人は、詩のなかに身を置くと、その人にそのものを示すようになる。その人そのものがそこに立ち現れるのは他人にほ迷惑な話である。
荒川洋治

 そして、前述のように「詩」の世界は「合理性」を求めていません。「詩」は「意味」を表現する必要がないからです。そこにこそ「小説」が失いつつある「創造性」を復活させる鍵があるかもしれません。

 そうだ。詩の場合は、「わからない」のがふつうなのだ、とぼくは思った、というか、「わからない」を目指しているのだ、とぼくは思った。「わからない」を前にすると、ウキウキするのだ。

 ただし、「詩」は多くの人に支持されることはめったにありません。読者の絶対数が少ないのですから、それは当然のことです。それだけに詩人たちの多くがより多くの読者を求めて「小説」の世界に引っ越しているのも事実。しかし、そうした「詩人」たちの多くは、いつの間にか「普通の小説家」になってしまうようです。

 荒川さんは、詩を捨て小説を書くようになった、かつての「仲間」に厳しいことばを浴びせかける。それは、彼らが、詩を捨てたから、ではない。詩を捨てて、小説の世界へ移って来たはずなのに、彼らの書いている小説が「詩を薄めたようなもの」「詩の『延長』でしかないようなもの」に見えるからだ。

 詩人ですらそうなのですから、「小説」の世界で作家たちが、より多くの読者を求めて世界観を共有できる作品を書こうと、その世界観を広く浅いものへと広げてゆくのは当然のことでしょう。

 小説というのは先頭に立つ人だけが書くもので、読者はそれに「みたない」作家たちの作品を思いきり無視していい、というくらいのものなのである。そのくらい文学は、おそろしい社会であるべきだ。

 今や図書館、本屋、そしてインターネットの世界に小説は無数に存在しています。現代は、誰もが小説を発表できる時代なのです。
 しかし、かつて小説家として生きることがそれ自体、ある意味ステータスだった時代がありました。
 その時代、限られた人間が限られた寿命のもとで、その生命の炎を燃やしながら書き上げたのが小説でした。もちろん、だからそれらが素晴らしい小説であるとは限りません。
 「小説」は、時代を映し出す鏡であればそれでいいではないか?
 「小説」は、数時間だけでも現実を忘れさせてくれる癒しグッズであればいいではないか?
 「小説」は、楽しみながら教養を身につけさせてくれる娯楽的教科書であればいいではないか?
 どの考え方も、そのとうりかもしれません。
 でも、僕はなぜなのか具体的にその理由がわからないにも関わらず感動してしまう、そんな小説にこそ惹かれてしまいます。そんな「センス・オブ・ワンダー」の魅力を持つ小説こそ、最高の小説だと思うのです。そして、そんな小説は合理性に基づいて書かれた小説では絶対にないのです。

<参考>
「ニッポンの小説 百年の孤独」 2007年
〈著)高橋源一郎
文芸春秋社

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