- 小沢健二 Kenji Ozawa -

<オザケンとの出会い>
 オザケンこと小沢健二と出会ったのは、子供と一緒に見ていたテレビ番組「ポンキッキーズ」でした。「おならで月まで跳べたら良いなあ〜」という実にシンプルでとぼけた曲を歌う彼は実に魅力的でした。(この時スチャダラパーのボーズと電気グルーブのピエールもレギュラーで出演していて、音楽番組として実に進んだ内容でした)
 その後、アルバム「Life」を買い、その中の曲「愛し愛されて生きるのさ」は、わが子と共通のお気に入りナンバーになり、今でも車の中で歌ったり口笛を吹いたりしています。
 何故かあまり評価されていない「球体の奏でる音楽」が僕は大好きです。あのアルバムで、僕は彼の歌の魅力がジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンの歌うボサ・ノヴァの魅力に近いことを知りました。
 でも、彼はそのアルバムに対する評価が気に入らなかったのか、自分自身が納得できなかったのか、それともひとつのスタイルに止まることを良しとしない性格なのか、長い沈黙の後、2002年にまったく新しいオザケン・スタイルを僕らに届けてくれました。
 アルバム・タイトル「Eclectic」とは、「取捨選択する」とか「折衷主義者」とかいう意味のようです。なるほど、彼は永遠に取捨選択を行って行くことを宣言したということなのでしょうか。そして、現時点で彼が選び取った新しいスタイルが、「Eclectic」におけるマーヴィン・ゲイドナルド・フェイゲンを折衷したソウル&フュージョン・サウンドだったわけです。
 考えてみると、僕にとって彼のアルバムは、それぞれが毎回違うテイストではあっても新しいものほど魅力的に思えます。すべてのアーティストは、最新作こそが最高傑作となるよう努力しているわけですから、その意味でも彼は自らの目指すものを追い続けている頭の良いアーティストなのだと思います。

<フリッパーズ・ギター>
 小沢健二は、1968年4月14日神奈川県の相模原市に生まれました。父と母はともに大学教授で、叔父は言わずと知れた世界の小沢征爾です。
 子供時代は川崎市で過ごしたようですが、家族が家族なだけに普通の子供達の間では浮いた存在だったようです。私立中学に入ると芸能関係の師弟も多かったせいか多少居心地が良くなったようですが、その時同級生の中に後にフリッパーズ・ギターで活動をともにする小山田圭吾がいました。
 その後、彼は東大の文学部に入学します。(根本的に彼は頭が良いのでしょうね)彼は在学中にいよいよ音楽活動を始めます。そして、友人だった小山田圭吾(Vo,Gui.)が井上由紀子(Keyb.)と始めたバンド、ロリポップ・ソニックにギター&ヴォーカルとして参加します。5人組のバンドとなった彼らは1989年バンド名をフリッパーズ・ギター Flipper's Guitarと改めアルバム・デビューを果たします。デビュー・アルバム「There Cheers For Our Side 〜海に行くつもりじゃなかった」は、全曲英語で歌われており、当時ロック界で唯一元気者だったイギリス産のネオ・アコースティック系のサウンドへの熱いオマージュだったようです。
 その後バンドは小沢、小山田の二人だけになり、1990年「カメラ・トーク」、1991年には彼らの集大成的な作品「ヘッド博士の世界塔」を発表し、渋谷系と呼ばれたアーティストの中のアイドルのひとつとしての地位を確立しました。しかし、この時点でフリッパーズ・ギターは突然解散してしまいます。解散の理由は、未だに謎のようですが、その後二人が向かった方向を考えると、解散は必然だったと思えます。

<「天気読み」明日の風>
 フリッパーズ・ギターの雑食性とそのミックス感覚をより深く押し進めていったのは、コーネリアスこと小山田圭吾でした。それに対して小沢は、少しずつ歌本来の魅力に向かっていったように思えます。そして、それは相対的な価値観によって生み出された曲から絶対的な価値観を元に生み出された曲への方向転換でもありました。
 1993年小沢健二は、シングル「天気読み」とアルバム「犬は吼えるがキャラバンは進む」でソロ・デビューを果たしました。フリッパーズ・ギターとはまったく異なるみずみずしい青春ロック・アルバムは、それまでのフリッパーズ・ファンを驚かせましたが、新たなオザケン・ファンを生み出しました。

<「Life」駆け抜ける人生>
 翌1994年発表の「Life」は、多くの人が彼のベスト・アルバムであり、90年代を代表するアルバムと位置づける代表作です。時に、音程をはずしては、再び元のメロディーに帰ってくる彼独特の勢いのある歌唱法が、この作品では見事に活かされ、それがどんな歌唱力のある歌い手にも再現できないだろう高みに達していました。そのファンキーさは、かつてブラック&ラテンのファンク・グループへと果敢に挑んだ天才肌の下手うまヴォーカリスト、デヴィッド・バーンを思わせたりもしました。

<「球体の奏でる音楽」しなやかな音楽>
 1996年のアルバム「球体の奏でる音楽」でも、彼は新しい方向性を打ち出します。最高のロック・アルバムを作った彼が挑んだのはジャズ・フュージョンとボサノヴァの世界でした。しかし、大方の評価はぱっとせず、このアルバムは中途半端なできとされました。彼の歌唱法は、やはりロック向きだったのでしょうか?
 ニューヨークへと旅立った彼は、いつの間にか音楽界の話題かたも消え、彼は長い沈黙の期間に入ります。

<「Eclectic」ニュー・オザケン>
 そして、2002年6年ぶりにオザケンが帰ってきました。それもなんだか、いきなり大人になって・・・。余計な心配かもしれませんが、こんなに大人の歌を歌っちゃって、ライブやTVでのトークは、どうするつもりなのでしょうか?今まで通り?それとも大人になっちゃう?まさかそれはないでしょうね。
 それにしても、「おならで月まで飛べたら良いな」と歌っていた彼が、今や「月まで君をいかせてみたいな」と歌うようになるなんて・・・。そんなこと歌ってないか、失礼。
 どんなに歌が上手くなっても、どんなに歌詞が大人向けになっても、きっと僕は彼のファンのままのような気がします。それは、僕が彼の生き方(Life)を気に入っているからかもしれません。
 音程がちょっとばかりはずれても、ミュージシャンとしての方向があっちへこっちへそれたとしても、オザケンは必ず帰ってくるのです。(久々の新作「毎日の環境学」がその後でています)

<締めのお言葉>
「森に住むサルのほとんどは少なくとも百種類を越える植物を食べる。この方法でサルは植物の毒性を薄め、栄養のバランスもとり、資源を有効利用し、かつ目先の変わったものを次々食べて美味しい思いをする。「つまみ食い」はサルの属性となった」

池澤夏樹著 「楽しい終末」より

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