- フィル・スペクター Phil Spector -

<ウォール・オブ・サウンド>
 音楽之友社から出版されている「アメリカ音楽ルーツ・ガイド」という本があります。その本の中には、アメリカで発展したポピュラー音楽68ジャンルが取り上げられていて、その歴史と代表的なアーティストたちの紹介がかなり詳しく載っています。そして、その中に「ウォール・オブ・サウンド」というタイトルのページもあるのですが、このページだけは、唯一たった一人のアーティストのためのページになっています。そう「ウォール・オブ・サウンド」という手法を作り上げ、ポピュラー音楽の世界において、それを見事に成功させた男、フィル・スペクターのことです。
 ほとんどすべての音楽ジャンルが、同じ時代に現れた多くのアーティストたちの競い合いによって生み出されたものであるのに対し、「ウォール・オブ・サウンド」は彼ひとりによって始められ、完成させられたといってもよいのです。しかし、その偉業は今やあまりに当たり前のことになってしまい、その価値が見えなくなりつつあるかもしれません。

<フィル・スペクター>
 フィル・スペクターは1940年、ニューヨークに生まれています。しかし、1949年に父親が死去、そのため彼はロス・アンジェルスに移住することになり、そこでフェア・ファックス高校に入学しました。この高校は優秀な音楽関係者を輩出していて、ハーブ・アルバートジャン&ディーンジェリー・リーバーなどが、この高校を出ています。フィルも、この学校に在学している頃に、バンド活動を開始し、大学に入学してからはテープ・レコーダーを用いたオーバー・ダヴィングの手法について、独自の手法を研究し始めていました。そして、その手法を試すべく始めたのが、高校時代の友人たちと結成したテディ・ベアーズでした。
<追記>なんとこのフェア・ファックス高校は、後にレニー・クラヴィッツ、ガンズ&ローゼスのスラッシュ、それにレッド・ホット・チリ・ペッパーズのアンソニー・キーディスとマイケル・バルザリーも輩出しています。凄い!

<テディ・ベアーズ>
 テディー・ベアーズは、さっそくシングルを発売、ところがそのシングルのB面「会ったとたんに一目惚れ To Know Him Is To Love Him」がいきなり大ヒット、なんと全米ナンバー1に輝いてしまいます。自分の手法に自信をもったフィルは、さっそくアルバムを制作、「テディー・ベアーズ」を発表します。ところが、世の中そう上手くは行かず、このアルバムはまったく売れませんでした。しかし、このアルバムの制作現場において、彼は非常に多くのことを学び、ミュージシャンとしての活動より、プロデューサーとしての活動に目標を見出すようになって行きました。

<リーバー&ストーラーのもとで>
 フィルはロスでプロデューサー、レスター・シルにつき、そのノウハウを学び始めます。しかし、さらに上を目指そうとする彼にとって、ロスの音楽産業はまだまだ物足りないものでした。(当時は、まだまだニューヨークこそが、音楽産業の中心地でした)そこで彼は、ニューヨークで活躍していた高校の先輩ジェリー・リーバーと彼の相棒、マイク・ストーラーに頼み込み、弟子として使ってもらうことになりました。当時、リーバー&ストーラーは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、エルヴィス・プレスリーのヒット曲やドリフターズのヒット曲の数々(「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」「ラスト・ダンスは私に」など)を生みだした全米一のソングライター・コンビでした。彼らは、黒人文化であるR&Bを白人に受け入れやすくするコツを心得ていて、白人でありながら黒人アーテイストたちに曲を提供し、そのプロデュースを行っていました。フィルは、彼らのもとでさらに深くプロデューサーとしての才能を磨いていましたが、そこである事件が起こりました。

<アトランティックでの大抜擢>
 それは、リーバー&ストーラーがほとんどの仕事を請け負っていたアトランティックと金銭的なトラブルを起こしたことから始まりました。時代の寵児となった絶好調の彼らは、音楽業界にはそれまで存在しなかったプロデュース代をアトランティックに要求したのです。そして、それが認められると、さらに過去にさかのぼった金額をも請求したのです。しかし、このがめつさが裏目に出てしまいます。アトランティックの経営者アーメット・アーティガンジェリー・ウェクスラーは、このやり方に切れてしまったのでした。彼らはその請求に対する支払いに応じたものの、二度と二人は使わないと通告、代わりに彼らの弟子だったフィルをその後釜に採用したのです。しかし、ここでフィルの才能がすぐに開花したわけではありませんでした。それは、彼のせいというよりはアトランティック全体の問題でした。当時、アトランティックは、ベン・E・キングをようするドリフターズを抱えていたものの、それまで会社を支えてきた大物レイ・チャールズと白人アイドル・スター、ボビー・ダーリンは相次いで他社に移籍し、大金を積み上げて契約をもくろんでいたエルヴィス・プレスリーもRCAにさらわれてしまっていました。残ったのは、ラヴァーン・ベイカールース・ブラウンのようなかなり黒っぽい、R&B系のアーティストたちばかりでした。フィルは、それらのアーティストたちのプロデュースを行い、それなりの仕事はこなして行きましたが、その効果は、残念ながら売上には現れてこなかったのです。アトランティックのアーティストたちは、フィルにとってあまりに黒っぽ過ぎたのかもしれません。結局、フィルが残せたヒットは、ベン・E・キングの「スパニッシュ・ハーレム」ぐらいで、失意のうちに彼はアトランティックを離れ、ロスへと舞い戻ることになりました。

<フィレス・レコードの設立>
 ロスにもどったフィルは、かつての師匠レスター・シルとともに、1961年フィレス・レコードを設立。いよいよ自分が目指しているサウンドづくりに専念し始めました。その第一号は、ガール・グループのザ・クリスタルズで、その後ダーレン・ラブに続いて、彼に対する評価を不動のものにしたザ・ロネッツと白人ソウル・デュオ、ライチャス・ブラザースが次々にヒットを飛ばし始めます。いよいよフィル・スペクター黄金時代の到来でした。

<ウォール・オブ・サウンドの完成>
 アレンジャーのジャック・ニッチェレオン・ラッセルラリー・ネクテルらのロスを代表する一流のミュージシャンたち、それにニューヨーク時代から付き合いのあるキャロル・キングバリー・マンなどの優れたソングライターたち、彼らの才能が生み出すサウンドを多重録音とかつてない長時間の録音によって、ひとつの分厚い音の壁に仕上げて行く彼独自の手法、それを人は「ウォール・オブ・サウンド」と呼ぶようになっていました。

<忘れられた「ウォール・オブ・サウンド」>
 彼の生みだした手法は、多くのフォロワーを生みながら1960年代半ばには、ほぼ完成の域に達しました。しかし、丁度その頃からポピュラー音楽の世界は大きく変わり始めだします。それは、バンド・サウンドを基本とするロックの時代の到来でした。それは、スタジオ・ワークによって生み出される完璧な音よりも、コンサートで生み出される生の音を重視する流れでもあり、そのおかげでフィルの存在はしだいに過去のものになって行きました。

<復活した「ウォール・オブ・サウンド」>
 しかし、再び彼が脚光を浴びる時がやってきました。それは、ビートルズがライブ活動を止め、スタジオ・ワークに徹するようになったことがきっかけでした。そして、徹底的に多重録音を用いたアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発売され、その後ビートルズは解散しました。そして、ジョン・レノンジョージ・ハリソンは、それぞれのソロ活動において、さっそくフィル・スペクターをプロデューサーに起用しました。(ジョンの「イマジン」、ジョージの「オールシングス・マスト・パス」)フィルは、けっして忘れられてはいなかったのです。

<ウォール・オブ・サウンドを生んだフィルの感性>
 彼がたったひとりで「ウォール・オブ・サウンド」という驚異的な手法を生みだしたのには、彼自身のある種偏執狂的な性格が大きく関わっていたという説があります。彼の異常なほどの「わがまま」と孤独癖は、どうやら家系的なものだったらしく、彼の家族もその傾向があったらしい(彼の姉は精神病院に収容されている)。彼の場合、幸いにして、その異常性はそのまま才能へ結びついたと言えそうです。しかし、その後の彼はさらにその異常さを増し、ビヴァリー・ヒルズの巨大な邸宅に閉じこもり、その家を出ることはほとんどないといいます。彼はまさに「ウォール・オブ・サウンド」の奥深くに閉じこもってしまったのです。そのせいか僕は「ウォール・オブ・サウンド」という言葉を聞くと「音の壁」というより、「心の壁」という閉ざされたイメージを思い浮かべてしまいます。
 もちろん、彼の偉業はその後多くのミュージシャンやプロデューサーに受け継がれ、今やその手法は音楽を作る作業における常識となりました。その意味では、けっして彼は孤独ではないのですが、…。

<追記>
 2003年2月3日、ロスの自宅で女性を射殺した罪で彼は逮捕されました。かなり危ない人だということでしたが、まさか・・・。

<締めのお言葉>
「わたしの作品には詩があるという。とんでもない。わたしは自分の手法を使う、ただそれだけのことだ」 スーラ(ヘルムホルツの光学理論をもとに点描法を創始したモダン・アートの元祖のひとり)

[参考資料]
「アトランティック・レコード物語」ドロシー・ウェイド、ジャスティン・ピカーディー著 早川書房
「アメリカ音楽ルーツ・ガイド」鈴木カツ監修 音楽之友社

ジャンル別索引へ   アーティスト名索引へ   トップページへ