- クィーン Queen -

2002年4月13日追記

<女王陛下の心変わり>
 クィーンというバンドほど、ジャンル分けが困難なワン&オンリーのバンドは、他にないかもしれません。
 スタート当初は、独特の音色をもつシンプルなブリティッシュ・ハードロック・バンドでしたが、「シア・ハート・アタック」あたりから、オペラ的な要素を導入、多重録音による複雑な音づくりを進め、「オペラ座の夜」でその成果が見事に発揮されました。しかし、その高度な音楽性をより進めて行くのかと思いきや、彼らはよりシンプル、よりドラマティックな曲づくりの方向へ向かいました。それが、今やスポーツ番組の超定番ソングとなった感がある、「ウィー・ウィル・ロック・ユー」「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」が入ったアルバム「世界に捧ぐ」です。しかし、大ヒット・アルバムの後、再び彼らは大きく路線を変えます。アメリカのチャートを意識したかのようなソウルフルな作品集「ザ・ゲーム」とシングル「愛という名の欲望」によって、彼ら自身初の全米ナンバー1を獲得したのです。さらに、この後彼らは、アメリカン・コミックを映画化した超B級SF映画「フラッシュ・ゴードン」のサントラ盤を制作。どんどん大衆路線を突き進んで行きましたが、フレディー・マーキュリーの死により、あっさりとその活動に終止符がうたれてしまいました。

<例えて言うと>
 彼らの変化を、こう例えたらどうでしょうか?
 イギリスの正統派舞台劇俳優が、憧れのオペラ歌手になるためイタリアへ移住、しかし、より世界的に認められることを望んだ彼は、ミュージカルの本場、ブロードウェイを目指します。しかし、ある日彼は、同じニューヨークのマジソン・スクェアガーデンのリングに立つ「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノが腰に巻くWWFの世界チャンピオン・ベルトの輝きに魅せられてしまい、プロレスラーになり、ついに念願の世界チャンピオンの座についたのでした。彼のリング衣装はそれはもう豪華なものだったとか。だって、彼こそゲイとしては、初めての世界チャンピオンだったのですから!
 
<ドラマチックさの裏に>
 そんなわけで、僕はクィーンのサウンドを、勝手に「ドラマチック・ロック」なんて呼んでみたりもしたのですが、実は彼らクィーンのメンバーは、そんな音楽とは対照的にかなり「クール」な人々だったようです。
 天文学というよりは、占星術に凝り、ハンドメイドであの独特の音色をもつ伝説のギターを作り上げた職人並の技術も持つギタリストのブライアン・メイ
 電子工学を専攻し、バンドの高度な音楽づくりに多大な貢献をしたベーシストのジョン・ディーコン
 生物学と歯科を専攻した医者になりたかった男、ロジャー・テイラー
 その中で、当時英国領だったアフリカのザンジバルに生まれ、インドで少年時代を過ごし、後にエイズからきたカリニ肺炎によりこの世を去ったボーカルのフレディー・マーキュリーだけが、唯一、アート・スクール出の芸術家タイプの人間だったようです。(そして、彼はゲイでした)

<計算されたプロダクション>
  そう考えてみると、彼らのドラマチックなサウンドの裏には、計算し尽くされた完璧なサウンド・プロダクションがあったことに気づかされます。実際、彼らはその頃のバンドにしては珍しく、3作目のアルバムから自らプロデュースを手がけています。(ちなみに、この頃登場したボストンは、彼らよりもさらに計算されたサウンド・プロダクションを売り物にしていました。ただし、やりすぎの感もありましたが・・・)
 彼らは、自分たちのやりたいことを正確に把握していて、それを順番に実施していたのかもしれません。80年代に入って、彼らの勢いが急激に落ちたのは、彼ら自身のやりたかったことを、やり尽くしてしまったからではないでしょうか?

<僕にとっての女王陛下の魅力>
 僕にとって、最もクィーンが魅力的だったのは、デビューから「キラー・クィーン」「オペラ座の夜」発表のあたりでした。あの頃のクィーンは、まだその正体が謎に満ちていて、次にどんなサウンドを聴かせてくれるのか、スリリングだったし、楽しみでもありました。その後、少しずつネタが割れてきたわけですが、だからといって、彼らのサウンドが古くさくならないのは、やはり彼らが、自分たちの目指すサウンドを、きっちりと作り上げてきたからでしょう。それは、プロレスをスポーツとしてだけではなく、同時にエンターテイメントであることを認めて、楽しむことと似ているかもしれません。(このプロレスとロックの関係は、70年代以降のロックの歴史に実に良く当てはまるような気がします)
 彼らの大ヒット曲「ウィー・ウィル・ロック・ユー」「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」は、大衆芸能としてのロックが生んだ代表的な作品として、間違いなく延々と聴かれ続けるでしょう。天国のフレディー・マーキュリーにとっては、それがなによりの供養になるに違いありません。

<ボヘミアン・ラプソディー>(2002年4月13日追記)
 「世紀を刻んだ歌2」の「ボヘミアン・ラプソディー殺人事件」を見ました。目から鱗が落ちただけでなく、かつてこの曲を初めて聴いた時の感動を、久しぶりに思い出しました。(1975年)
 フレディーがアフリカ、ザンジバル(現タンザニア)生まれだったことをは知っていましたが、インドで育って、ロンドンに移住したインド系、それもゾロアスター教の家系だったとは・・・。
 僕はイギリス人に多いエキセントリックな冒険野郎という意味で「ボヘミアン」という言葉を用いていると思っていました。(「アラビアのロレンス」のT.H.ロレンスのように)
 それが、彼自身ボヘミアンそのものの人生を送っていたとは!そのうえ精神的にも、ゲイであるということでボヘミアン的人生を送らねばならなかったし、そこに厳格な宗教観との葛藤もあったというのですから、・・・これはかなり深い。そのことが、歌詞の中にはっきりと記されていることに、改めて驚かされました。(めちゃめちゃな歌詞と思われていた部分にも、やはりフレディーならではの計算が成されていたです。凄い!)
 そして、この曲がイギリスのTV番組主催の「世紀を代表する名曲」ランキング第1位に輝いたというのですから、さらに驚きです。(なんと第2位は、ジョンの歴史的名曲「イマジン」です)やっぱりイギリス人って、ちょっと変わっていると、妙に納得させられました。超保守的な国であるが故に、逆にそこから異端のヒーローを生み出し続けてきたイギリス。この曲は、そんなエキセントリックな国、イギリスを最もよく象徴している曲なのかもしれません。
 複雑な構造をもち、謎に満ちた歌詞をもちながら・・・誰が歌っても気持ちよい不思議な名曲。それはクイーンを代表する曲であると同時に、イギリスを代表する曲になっていたということなのです。(考えてみると、単純なるが故に、永遠に歌い続けられるであろう「イマジン」とは、まったく好対照の曲です)・・・今にして思えばバンド名の「クイーン」とは、よくぞつけたりです。

<締めのお言葉>
「リーバイ・ストラウスには嫉妬してしまう。僕もブルー・ジーンズのようなものを何か作りたい…それによって僕が思い出されるような何かを」 アンディ・ウォーホル

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