「贖罪 Atonement」

- イアン・マキィーアン Ian McEwan -

<これぞ本格長編小説>
 「これぞ長編小説!」という感じの読み応えのある作品です。(文庫本は上下二冊になっています)かつて、ディケンズやドストエフスキーが書いた「愛と憎しみ」、「歴史と人間」が一体となった大河小説と久しぶりに出会った感じがします。21世紀に入って、なかなか出会うことのできないタイプの小説かもしれません。ただし、そこは21世紀に書かれた小説だけあって、物語の構成にちょっとした工夫がほどこされています。その部分についてネタバレにならないようにしながら、ご紹介、解説してみたいと思います。

 この小説は全体で439ページ。そのうち226ページまでが第一部となっています。そして、その部分はさらに14の章に分かれています。面白いのは、その章がそれぞれ異なる何人かの登場人物の視点から描かれていることです。これは小説の技法としては邪道とされている手法です。基本的に、物語を描く際の視点は主人公や第三者など一つに統一し、読者が混乱しないように物語の世界に導入することが基本といわれています。なので視点が複数あるなどもっての他です。しかし、この小説においてはそれが重要な役割を果たしていることが、後にわかるのです。考えて見ると、こうして視点を複数もつ小説がリアリティーを持ちうるのが21世紀の現在なのかもしれません。確固たる主義主張や信念や宗教の存在しない今、ひとつの視点から物事を見つめることにリアリティーは感じられないのかもしれません。

<第一部(あらすじ)>
 物語の始まりは1935年の夏です。場所はイギリスの田舎町にある由緒ある旧家。1935年といえば、ドイツがヒトラーの政権下でユダヤ人を排除するためのニュールンベルク法を制定。さらに再軍備を始めたことでヨーロッパは戦争の危機に怯え始めていました。しかし、大陸から離れたイギリスでは、まだそれは他人事として感じられていたようです。
 その家に住むタリス家の主は官僚としてロンドンで働いていたため家に戻ることはほとんどありませんでした。そのタリス家に久しぶりに兄のリーオンが帰省してくる日から物語は始まります。
 大好きな兄を迎えるため、13歳の妹ブライオニーは自分が書いた台本を使い、芝居を上演する準備をしていました。出演者は、演出家も兼ねる彼女と両親が離婚することになったため、タリス家にあずけられることになった15歳のローラと9歳の双子の兄弟ジャクスンとピエロでした。しかし、まだまだ子供で腕白盛りな双子と年上の少女を思い通りに演出することは難しく、彼女は途方にくれていました。そんな時、彼女はふと見た窓の外、庭にある池の前で彼女の姉セシリアが服を脱ぎ裸に近い格好をしているのを目にします。そしてそんな彼女の前には一人の男性が・・・。それはタリス家からの援助によって大学に通っている使用人グレイス・ターナーの息子ロビーでした。遠くから見ただけで何が起きているのかよく理解できなかったブライオニーは、彼女が密かに恋心を抱いていたロビーの行動が姉を辱める行為にしか見えず、彼に対する愛が憎しみへと変わったことに気がつきませんでした。
 実は、この時のセシリアの行動はロビーに寄せる恋心を表現できずにいた彼女がとった愛情の表現ともいえる行為だったのです。そしてついにその夜、二人はお互いの心を理解し、図書室でキスを交わすことになりました。しかし、またしてもブライオニーはその二人のキス・シーンを目撃。いよいよ彼女はロビーに憎しみを覚えることになります。そして同じ頃、双子の兄弟が離婚してしまった両親に会うために家出してしまいます。二人の行方を捜すため、タリス家では病弱な母親一人を残し、全員が外に出て行きました。当初は母親のもとに残っていたブライオニーも、ロビーと姉のことを考えながら、暗い夜道へと出て行きました。そんな考え事をしながら歩いていた彼女は、暗闇の中で倒れているローラ見つけ、そこから走り去る男らしき人影を見ます。そして、この時やっと彼女はローラが何者かに暴行されていたことを知ります。だとしたら、さっき逃げていったのは誰だったのか?そしてその時、ブライオニーの心の中の目は犯人としてロビーの顔しか見ていませんでした。
 ほとんどの登場人物がまだ大人になってはいないだけに、それぞれの思いが誤解を生み、事件は悲劇へと向かうことになります。

<特殊な構成の意味>
 なぜ、章ごとに主人公が代わるのか?それはたぶんそれぞれの登場人物が何を思って行動していたのか、それを異なる視点から読者に知らせるためだと思います。その内訳は、ブライオニーの章が6章。セシリアの章が3章。ロビーが2章。ローラとエミリーがそれぞれ1章づつ。その重要度に合わせて、章が与えられ、事件に関わったそれぞれの登場人物の側から物語が語られ、その心の内が明らかにされています。読者は事件に関する情報を様々な角度から与えられることで、物語をより立体的、多角的に理解することができるので、どの登場人物にもそれぞれ感情移入することが可能になるのです。(黒澤明監督の名作「羅生門」の流れを汲む作品のひとつともいえるのかもしれません)

<第二部>
 ところが、第二部ではその表現方法が変わります。第二部の主人公は、ブライオニーによって強姦事件の犯人とされたロビー・ターナーです。裁判で有罪となった彼は刑期を終えた後、兵士として戦場にいました。第二次世界大戦が始まり、ドイツ軍の侵略を受けていたフランスを救うため、イギリス軍はフランスで戦闘を行っていました。しかし、ドイツ軍の圧倒的な兵力と軍事力の前にフランスは敗北。イギリス軍は自国を守るため、フランスを後にしようとしていました。
 多くの命が失われる有名なダンケルクでの戦闘に巻き込まれようとしていたロビーは、食料も水もない中、救助船に乗るため、港へと歩き続けていました。意識を失いかけながら、彼は久しぶりにあの事件のことを思い出し始めます。
 そして、事件の後もセシリアは彼を愛し続けていたことが明らかにされ、彼はセシリアともう一度会うために必死で歩き続けます。この第二部では、罪に問われたロビーが、その後どれだけ苦労したのかが、第二次世界大戦が始まったばかりのフランスを舞台に描かれているわけです。

<第三部>
 第三部では一転してロビーの人生を狂わせたブライオニーのその後の人生が描かれます。ブライオニーは自分が犯した過ちに気づいて後、それまでの人生を捨て、新たな人生を歩み出していました。いつかロビーとセシリアにすべてを告白しようと、二人に合う覚悟を決めていました。
 この第三部の最後に「ブライオニー・タリス、ロンドン、1999年」と記されています。これはこの部分が、ブライオニー・タリスという作家が書いた作品の一部であることを示していると考えられます。それに対して、最後の23ページの扉には「第四部」ではなくあえて「ロンドン、1999年」と書かれています。ということは、最後のこの部分は、小説として書かれたのではないということなのでしょう。(いや・・・もちろん全部で一冊の小説ではありますが・・・)この最後の短い文章を書いたブライオニーという作家が書いた長編小説作品が第三部までで、それは一つの小説となった未発表の作品なわけです。ややこしい?
 第一部こそ、ちょっと先が読める部分もありイライラするかもしれませんが、第二部以降、この小説は一気に読ませます。それだけに、読み終わった時、この小説のこうした工夫に気がつかない可能性もあるかもしれません。(たぶん気がつかない方が、作者の思い通りなのかもしれません。)
 僕自身、こうして改めて構成を分析してみなかれば、よくわからないままだったと思います。面白い小説だと分析などせず一気に読んでしまうという方は、後でじっくりふり返っていただければと思います。

<イアン・マキューアン>
 この本の著者イアン・マキューアン Ian McEwan は、1948年6月21日イギリスのハンプシャーで生まれています。軍人だった父親とともに彼は少年時代のほとんどを海外で過ごしています。シンガポールや北アフリカなどで生活した彼はそうした国々での生活から大きな影響を受けたようです。カズオ・イシグロ、J・G・バラード、ジョージ・オーウェルなど、イギリスには昔からこうしたタイプの作家が多く、それがイギリス文学の重要な特徴となっているともいえそうです。
 その後、イギリスに戻った彼はサセックス大学を卒業し、イーストアングリア大学の創作科で修士号を獲得しています。1976年、28歳の時、短編集を発表。その作品でいきなりサマセット・モーム賞を受賞します。「時間のなかの子供」、「黒い犬」などの作品を発表した後、「愛の続き」では1997年の英国圏最高の文学賞であるブッカー賞にノミネートされ、翌1998年には「アムステルダム」で見事初受賞を果たしました。
 本作品もまたブッカー賞にノミネートされていて、もし「アムステルダム」で受賞していなかれば間違いなくこの作品で受賞しただろうとも言われています。

「・・・ブライオニー自身にブライオニーが大切であるのと同じくらい、セシリアにもセシリアは大切なのだろうか?セシリアであるというのは、ブライオニーであるのと同じくらいに鮮烈な体験なのだろうか?
 姉もまた、意識と動作が形作る、砕ける寸前の波のような境界線のうしろに本当の自分を隠し持ってり、顔の前に指を立ててそのことを考え込んだりしているのだろうか。人はみなそうなのだろうか、たとえば父親は、ベティは、ハードマンは?答えがイエスであるならば、この世界、人間たちの織りなす社会は、二十億の声を抱えて耐えがたいほどに込み入っているのであり、すべての人間の思考は同じ重要さで主張しあい、人間ひとりひとりの生への要求は同等に強烈で、人はすべて自分が特別な存在だと思っているが、じつは特別な人間などいないわけだ。・・・」

イアン・マキューアン(著)本書より

「贖罪 Atonement」 2001年
(著)イアン・マキィーアン Ian McEwan
(訳)小山太一
新潮社

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