「ターミネーター2 Terminator 2 : Judgment Day」 1991年

- ジェームス・キャメロン James Cameron -

<パート2はパート1を越えられるか?>
 映画の長い歴史の中で続編が第一作を上回る評価を受けた例は非常に稀です。僕が思うに「パート2」が「パート1」を越えた、もしくはそれに匹敵する作品になった例は、続編が異なる監督に代わった場合です。
 「フレンチコネクション」と「フレンチコネクション2」、これはウィリアム・フリードキンの実録犯罪映画とジョン・フランケンハイマーによる犯罪アクション映画、まったく異なるタイプの名作になっていました。
 「エイリアン」と「エイリアン2」、こちらはリドリー・スコットのリアリズム・SFホラー・サスペンス映画とジェームズ・キャメロンによるSF戦闘アクション。これもできは甲乙つけがたく好みの問題でしょう。その他、例外といえるのが「バックトゥー・ザ・フューチャー」と「指輪物語」、「マトリックス」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のような連作完結ものでしょうか。これらの作品は、全部で一つの物語なので最終章が一番面白くなるのはある意味当然かもしれません。
 それでは単純に一作目のヒット作を受けて同じ監督が撮った続編作品に傑作はあるのか?僕には2作品しか思い浮かびません。先ずは、「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーPart2」。どちらもF・F・コッポラの作品ですが一作目の大ヒットで大幅に予算を増額された「パート2」は、ロバート・デ・ニーロという新たなスターの登場もあり、一作目を上回る評価をえた数少ない作品のひとつになりました。そして、もう一作がこの年公開の「ターミネーター2」ではないかと思います。

<「ゴッドファーザー」と「ターミネーター」>
 このニ作品には共通点があります。どちらも第一作はヒットすることを期待されていませんでした。
 「ゴッドファーザー」は、原作自体は大ベスト・セラー作品だったものの、ソフィアを実名に近いかたちで扱う作品のため、映画化が可能なのか危ぶまれていました。その上、恐れをなした監督たちが次々にオファーを断ったため、結局ほとんど無名に近かったコッポラに白羽の矢が立ったのでした。
 「ターミネーター」の場合、脚本を自ら書いたジェームス・キャメロンは自分に監督をさせてくれることを条件に映画会社と交渉に当たっていました。しかし、「殺人魚フライング・キラー」(1981年)という超C級の映画しか撮っていなかった彼に監督を任せてくれるメジャーの映画会社は現れませんでした。(『殺人魚フライング・キラー』はジョー・ダンテのB級ヒット『ピラニア』の続編として企画され、彼は演出のみを任されました。そのため、彼には編集権などはいっさい無く、良い作品にすることは到底不可能でした)それでも彼に撮らせてくれる映画会社が現れたのは、脚本がそれだけ面白かったからでした。とはいえ、ヘムデイル・ピクチャーズという無名の製作会社と1978年に出来たばかりのオライオンの2社が彼に予算として準備してくれたのは640万ドル。ハリウッド映画のレベルからするとかなりの低予算映画だったことになります。これが世界的な大ヒット作になるとはさすがに誰も予想してはいなかったはずです。

 二人の監督にも共通点があります。二人はともにロジャー・コーマン率いるニューワールド・ピクチャーズで鍛えられた経験があるのです。F・F・コッポラは、ロジャー・コーマンのもとを巣立った中で、最初に大成功した監督でした。彼は大学生の頃、すでにロジャー・コーマンのもとで働いており、1962年「死霊の棲む館」で監督としてデビュー。しばらくはロジャー・コーマンのもとで映画を撮った後、その才能を買われて一躍「ゴッドファーザー」の監督に抜擢されることになったのでした。

 ジェームス・キャメロンもまたロジャー・コーマンのもとで映画界入りのチャンスをつかみ生活費を稼いでいた経験者です。ただし、彼が最初の仕事ととしてSF映画「宇宙の七人」に参加したのは1980年のことですから、ロジャー・コーマン学校の卒業生の中でも最後の世代に属しているといえそうです。(その他の卒業生としては、マーティン・スコセッシ、ジョー・ダンテ、ジョン・セイルズ、ジョナサン・カプラン、ジョージ・ルーカス、ブライアン・デ・パルマ、デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ボブ・ラフェルソン、ロン・ハワードなどなど)
 低予算のB級映画を作り確実に利益をあげ続けたロジャー・コーマンのニューワールド・ピクチャーズで鍛えられた監督たちは、少ない予算をいかに有効に使うか、その手法を身につけていました。だからこそ、二人の監督は少ない予算を有効に使うことで自分たちが思い描いていた作品になんとか近いものを作り上げることができたのでしょう。
 二人の監督はどちらも一作目が大成功を収めたにも関わらず、そのできに満足してはいませんでした。二人は共に、頂点を目指すためには危険を冒すことを恐れない人物だったのです。自分の会社を何度も倒産させているコッポラは映画を撮るためにすべてを捧げてきた監督です。彼は「ゴッドファーザー」が世界的な大ヒットとなったにも関わらず、そのできに満足はしていませんでした。だからこそ、彼は大幅に予算が増額されたパート2でも守りに入ることなく、よりスケール・アップし、より完成度の高い作品を撮ることができたのでしょう。二作目にして彼はやっと自分が撮りたかった作品を作り上げられたのです。
 それはジェームス・キャメロンの場合も同じでした。

<ジェームス・キャメロン>
 ジェームス・キャメロン James Cameronは、1954年8月16日カナダのオンタリオ州の田舎町で5人兄弟の長男として生まれました。父親は電気工で裕福な家庭ではありませんでしたが、その後セールスマンに転職してカリフォルニアに移住。彼は大学では海洋生物学と物理学を専攻。「2001年宇宙の旅」を見て特撮の魅力を知り、映画作りを志すようになりました。大学卒業後、映画学校に入るお金がなかった彼は、バスで図書館に通いながら自力で勉強を続け、映画監督になる夢を追い続けました。そして、トラックの運転手などをして資金を貯め、短編映画を撮影、そうした経験によってロジャー・コーマンのもとで働くチャンスをつかんだのでした。彼もまた映画を撮るために人生を捧げた苦労人だったのです。
 「ターミネーター」の大ヒットの後、彼は「エイリアン2」(1986年)の脚本と監督を勤め、さらに「ランボー/怒りの脱出」(1985年)の脚本を書き、どちらも大ヒットさせました。(ただし、ランボーの脚本についてはスタローンが大幅に改編してしまったので彼の作品とはいえないといわれています)
 一作目のヒットにより、彼には「ターミネーター」の続編を撮る話が持ち込まれることになりました。予算額は前作の15倍という大幅増。彼はこの巨費によって、やっと自分が撮りたかった作品を撮ることができるようになりました。特に重要だったのが「ゴッドファーザーPart2」におけるロバート・デ・ニーロに匹敵する新しいキャラクター、新型ターミネーター(T−1000)の登場でした。前作では、シュワルツェネッガー演じるターミネーターが誰にも止められない強さを発揮したからこそ、それを倒した主人公に観客は拍手喝采を送りました。しかし、同じような闘いをもう一度やっても前作を越えられるはずはありません。ということは、前作のターミネーターを越える強い敵を作るしかなかったわけです。幸いにして、前作でわずか十数個の台詞しかなかったシュワルツェネッガーは、演技力の無さが目立たなかったこともあり、一躍俳優として人気者になっていました。となれば、人気者の彼を善玉にしてそれ以上の敵を登場させよう、ということになったわけです。

<ターミネーター>
 元々ターミネーターというのは、未来で起きていた機械と人間の戦争において機械側が人間側のリーダー、ジョン・コナーを暗殺するために作った暗殺ロボットでした。それも、ガードが固いジョン・コナーに近づくためにあえて人間に似せて作られたのでした。そう考えると、あのあまりにロボット的なシュワルツェネッガーの動きはキャメロンの求めていた動きではなかったのです。実は、彼が最初に考えていたターミネーターは、「T2」の液体金属T−1000を演じたロバート・パトリックのようにごく当たり前の容姿をもつ存在として考えられていました。それでこそ、人間の中に紛れ込んでも怪しまれない存在なのですから。しかし、そんなごく普通の容姿をもつロボットを強く見せることができるのか?そのために考え出されたアイデアが自由自在に変形できる液体金属人間だったわけです。そして、このアイデアを実現できたのが大幅に増額された製作資金でした。驚いたことに一作目の15倍という製作費のうち1/5にあたる1700万ドルがこの映画ではCGのために使われています。(これは一作目の総製作費の2.5倍です)ちなみにキャメロンの前作「アビス」では水を自由に操る生命体が登場、そこですでに「T2」の準備ともいえるCGの使用が行われていました。今ではこうしたCG部分の製作費はかなり安くなっているはずですが、当時はまだ映画におけるCGの使用は研究段階であり、製作費=研究開発費として巨額の予算を必要としていました。その意味では、「ターミネーター」のヒットが「ターミネーター2」の製作を実現させ、さらに「ターミネーター2」が生み出したCGの技術がその後の作品、「タイタニック」や「指輪物語」のようなCGと実写による超大作の製作をも可能にすることになったのです。
 こうして、「T2」は史上最強の悪役だったタミネーターを上回るさらなる悪役を創造することができたことで、ついに一作目を上回ることができたのです。

<CG映画の未来>
 映画の未来を考える時、僕は将来、実写映画に俳優がいらなくなってしまうのではないか、そう思います。例えば、「ゴッドファーザー」のリメイク、もしくは新たな続編を撮るためにマーロン・ブランドをCGにより画面に復活させることも可能になるし、若き日のマーロン・ブランドも再現可能となるはずです。画面における演技も演技用のソフトもしくはCG専門の演出家が監督の希望に合わせて演出するのでしょう。そうなると肖像権の問題はかなりややこしくなってゆくでしょう。マーロン・ブランドにホクロをつければ、それは別の俳優だから肖像権を侵害しない、とか・・・・。と、そんな時代がもし来たら、映画史における最初のCG俳優はT−1000だったといわれることになるかもしれません。

<倒しても倒しても・・・>
 「ターミネーター」がその後の映画に与えた影響はCGの技術に関することだけではありません。倒しても、倒しても起き上がって攻撃してくるターミネーターは、そのキャラクターが単なる悪役以上の存在として大人気となりました。彼は悪役でありながら、そのキャラクターには憎めない部分があり、いつの間にか観客の心をつかんでいました。そんなアイドル性のある敵役は、久しく無かったように思います。古くはフランケンシュタインやドラキュラ、それにゴジラがそんな存在に当たるのでしょう。(「スター・ウォーズ」のダースベイダーもそうでした。そして、彼も最後には見方になりました)
 それに、映画が終ったとみせて、何度も何度も危険が迫ってくるクライマックス・シーンの連発。これもまた、この映画が流行らせたものです。この作品以降ハリウッド製アクション映画の多くが、このしつこいまでの演出を取り入れることになります。この映画は映画のエンディングの常識を変えたともいるでしょう。
 ジェームス・キャメロンとF・F・コッポラには、まだ共通点があります。F・F・コッポラは「ゴッドファーザー Part2」で、ジェームス・キャメロンは、「タイタニック」でアカデミー賞の作品賞と監督賞を獲っていることです。二人は映画製作現場での下積みから、ついに映画界の頂点ともいえるアカデミー賞を手にした数少ない監督のひとりになったのです。
「I am the King of the World」と叫んだキャメロン監督の気持ちも当然かもしれません。彼にとっては念願だった「タイタニック」を撮ってアカデミー賞を獲るまでは、常に次回作こそが最高傑作でなければならないという思いがあったのでしょう。逆に言うと、その後、彼がさっぱり作品を撮れなくなってしまったのもそのせいかもしれません。

「ターミネーター2 Terminator 2 : Judgment Day」 1991年公開
(監)(製)(脚)ジェームス・キャメロン
(製)B・J・ラック、ステファニー・オースティン
(製総)ゲイル・アン・ハード、マリオ・カサール
(脚)ウィリアム・ウィッシャー
(撮)アダム・グリーンバーグ
(特撮)デニス・ミューレン、ILM
(特メイ)スタン・ウィンストン
(編)マーク・ゴールドブラット他
(音)ブラッド・フィーデル
(出)アーノルド・シュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトン、ロバート・パトリック、エドワード・ファーロング、ジェームス・ノートン

<あらすじ>
 ターミネーターが破壊されてから、十数年後、サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)は終末が来るという予言を精神異常と診断され精神病院に入院させられていました。母親から引き離されていた息子のジョン・コナー(エドワード・ファーロング)を再び未来から来た殺し屋が狙います。今回の殺し屋は新型のターミネーター、T−1000(ロバート・パトリック)。液体金属でできたその身体を自由に変形させ、どこにでも浸入することができる最強のアンドロイドでした。サラとジョンを守るため、未来から旧型のターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)が送られてきますが、T−1000は手ごわすぎる敵でした。サラを病院から救い出した後、3人は武器を手に入れるため、メキシコにあるかつてのアジトを目指し、その後、永久にスカイネットを葬るために、その開発者となるはずの人物、ダイソン博士(ジェームス・モートン)の暗殺を計画します。しかし、未来の人類のためとはいえ、まだ何もしていない人間を殺すことはできず、彼らは博士にすべてを打ち明けて、スカイネットを案内してくれるよう頼み、承諾を得ます。そして、博士が自分の命を犠牲にしてくれたことで、彼らはスカイネット開発のきっかけとなるターミネーターの腕を破壊することに成功します。しかし、T−1000を倒さなければ闘いは終わりません。彼らはT−1000を倒すことができるのか?そして、それで闘いは本当に終るのか? 

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