
- ウディー・ガスリー Woody Guthrie -
<ロード・ムービーの世界>
1960年代から70年代にかけて、アメリカの映画界では、ニューシネマと呼ばれるジャンルがブームになっていました。
「俺たちに明日はない」(1967年)、「イージー・ライダー」(1969年)、「真夜中のカウボーイ」(1969年)、「明日に向かって撃て」(1969年)、「ファイブ・イージー・ピーセス」(1970年)、「断絶」(1970年)、「アリスのレスラン」(1970年)、「スケアクロウ」(1973年)・・・
これらニューシネマの名作のほとんどに共通している点をひとつあげるなら、それは「旅」ということになるでしょう。未だにアメリカにおける重要な映画のジャンルとして「ロード・ムービー」というものが存在しているように、アメリカという広大な国に住む開拓民の子孫たちにとって、「旅」は人生の大きなテーマであり続けています。
<ホーボー・ライフ>
アメリカには、定まった住所を持たずトレーラー・ハウスで移動しながら生活する人々が未だに数多くいるそうです。旅そのものを人生と考える人々、そんな人々をアメリカではよく「ホーボー
Hobo」と呼びます。正確には、働きながら汽車を使って移動して行く移動労働者を「ホーボー」と呼び、単に汽車にただ乗りしながら放浪する旅人は「トランプ」と呼ばれていたとも言われています。 (ちなみに、ザ・バンドの名曲のひとつ「ホーボー・ジャングル」は、「ホーボーたちの集まる場所」を表す言葉だそうです)
<ホーボー・サウンドの継承者>
そして、そんな放浪者たちが旅をしながら見たこと感じたことを歌にしたものが、1930年代の大不況時代に数多く生まれました。それはカントリーやブルースをもとにギター一本で歌われたフォーク・ソングのプロトタイプでした。それらのほとんどはレコードなどに記録されることもなく、歴史の影に消えて行ったのですが、アメリカの民族音楽研究家ジョン・ロウマックスとその息子アランらの地道な努力によって、わずかながらいくらかは記録として残されました。しかし、そんな「記録としてのホーボー・ソング」とは別に、生きた歌としてその後もホーボー・ソングを歌い続けた人物がいました。それがアメリカにおける「フォーク・ソングの父」と呼ばれる人物、ウディー・ガスリーです。
<自由のために抗議を続けた男>
彼は、ホーボーとして旅をしながら歌い続けただけでなく、厳しい労働環境と低い賃金に苦しむ人々のために抗議の歌「プロテスト・ソング」を歌い、病に倒れるまでその姿勢を貫き通しました。いつしか彼のそんな生き方に感動した若者たちが彼のもとを訪れるようになり、彼らは後に「ガスリーズ・チルドレン」と呼ばれるようになります。
唯一の愛弟子、ランブリン・ジャック・エリオット、それにボブ・ディラン、トム・パクストン、フィル・オクス、ジョーン・バエズ、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、本物の息子アーロ・ガスリー、それ以外にも時代を越えた弟子たちとしてライ・クーダー、ブルース・スプリングスティーン(「ゴースト・オブ・トム・ジョード」はまさにウディーに捧げられたアルバムです)、ビリー・ブラッグ、ベックまで、その影響を受けたアーティストは後を絶ちません。
ウディーの生き方は、西へ西へと旅することで作られてきたアメリカという国の象徴であり、それは音楽界だけでなくジャック・ケルアックの「路上」に代表されるビート世代へも受け継がれ、それがさらににロック世代へと受け継がれて行くことになるのです。
<悲劇的人生の始まり>
ウディー・ガスリー(本名ウッドロウ・ウィルソン・ガスリー)は、1912年オクラホマ州の田舎町オキーマに生まれました。(ウッドウ・ウィルソンという名前は、彼が生まれた年に大統領に指名された人物の名前からとられました)人口千人ほどの小さな農業の町、オキーマは、何度となく砂嵐や竜巻に襲われ、彼の家も竜巻によって飛ばされたことがありました。
彼の父親、チャールズ・ガスリーは不動産業を営んでいて、彼が生まれた頃はかなり羽振りが良かったようです。しかし、1930年代の大不況時代に入ると一気にその財産を失い、それと同時に人生におけるツキまでも失ってしまいました。そのせいか家が火事になったり、竜巻に飛ばされたりと不幸が重なり、ついにはウディーの母親が精神病院に入院、そこで息を引き取ってしまいます。父親も肉体労働者として働きますが、家族を養って行けず、ついに家族はバラバラになってしまいました。
<孤独な旅路へ>
ウディーは、住む家のない浮浪者のような生活を始めますが、ある日親戚から西海岸に来ないか?という誘いを受け、一人カリフォルニアへの旅に出ます。そして、この時から彼のホーボー生活が始まります。
この旅で知り合った果物農家を巡る移動農業労働者の家族たちとの交流は、彼に大きな感動を与え、後に彼が映画館で見たジョン・フォード監督の傑作「怒りの葡萄」(ジョン・スタインベック原作)の影響の元、「砂嵐バラッド集 Dust bowl ballads」としてアルバム化されます。この作品は1940年にアラン・ロウマックスの尽力により、大手のレコード会社RCAから発売されることになり、彼の名を全米に知らせるきっかけとなります。
<「栄光へ向かう汽車」の発車>
1943年彼は自らの前半生を自伝「Bound For Glory ギターをとって弦をはれ」として発表します。オリジナルの詩を死ぬまでに1000曲は作っていたという優れた詩人ウディーの文章は、1930年代大恐慌時代のアメリカ大衆文化の貴重な記録というだけでなく、苦しみを乗り越えながらアメリカを立ち直らせた名も無き人々への素晴らしいオマージュとして絶賛されることになります。(ボブ・ディランも、この本を読み、ウディーに憧れるようになったと言われています)
後にこの作品は、ハル・アシュビー監督によって映画化され「わが心のふるさと Bound For Glory」というタイトルで公開されています。主演はデヴィッド・キャラダイン。B級映画がほとんどだった彼にとって、この映画は生涯の最高傑作となりました。
(追記)
それともう一本ロバート・アルドリッチ監督の汽車を舞台にしたホーボーたちのアクション映画「北国の帝王」もお薦めの作品です。ホーボーたちの生活を再現した貴重な映画であると同時に娯楽性も兼ね備えた良い映画です。出演は、キース・キャラダイン、リー・マービン、アーネスト・ボーグナイン(最高の演技です!)
<ホーボー生活を選んだ男>
もしかすると、彼が本当に偉大なのはアーティストとして優れていることだけでなく、苦しく危険の多いホーボー生活を自らが望み、楽しんでいたことかもしれません。
最初の旅でカリフォルニアの親戚を訪ねあてた彼は、その親戚が驚くほど裕福であることを知ります。ところが、食うや食わずでかろうじてたどり着いた一文無しの彼は、その豪邸の玄関のベルを押すことなく、再び旅路についてしまったのです。彼はたとえ裕福であっても一カ所に止まる決まり切った生活が耐えられなかったのです。
さらに彼はミュージシャンとしてラジオ局のオーディションを受け、ニューヨークで契約するチャンスを得たものの、自らそのチャンスを捨ててしまいます。彼は、何物にも束縛されることなく自由に歌いたかったのです。
<ウディー・ガスリーというアーティスト>
ウディー・ガスリーは、生き方そのものがアートでした。したがって、彼のことをプロテスト・ソングを歌う左翼系活動家ととらえてしまうのは間違っているでしょう。彼は、子供たちのための歌や恋人たちのための歌、それに悲惨な事件やおかしな事件を歌ったものなど、人生のいろいろな場面を歌にする幅の広いエンターテナーでもあったのです。
しかし、残念なことに、彼はそんな旅から旅の人生をいつまでも続けることができませんでした。ハンティントン舞踏病という特殊な神経の病に冒されてしまったのです。しだいに彼は、歩くどころかしゃべることも困難になり、寝たきりの生活を余儀なくされます。こうして、彼はその生き甲斐である旅の生活に別れを告げることになったのです。
<ファーク・リヴァイバル>
彼がこうして病によってその存在を忘れられつつあるころ、ギターを抱えた若者たちが彼のもとを訪れるようになり始めます。それが後にガスリーズ・チルドレンと呼ばれることになる若者たちでした。ランブリング・ジャック・エリオット、フィル・オクス、そしてボブ・ディランらはこうしてウディー直系のフォーク・ミュージシャンとしてそのスタイルを受け継いでゆくことになったのです。
そんな若者たちの動きに象徴されるフォーク・ソングへの関心が、1960年代初めのファーク・リヴァイバルという一大ムーブメントを生み出していったのでした。現役を退いていたウディーにやっと注目が集まるようになりましたが、その頃すでに彼の病状は悪化しており、見舞客が誰なのかを認識できているかどうかも怪しかったと言われています。
少しずつ死へと近づく悲劇的な人生についに幕が下りたのは、彼が55歳になった1967年9月3日のことでした。1967年、それはプロテスト・フォークのもつメッセージ性をロックン・ロールが吸収し、新たなスタイルを確立することで始まった「ロックの時代」が始まった年でもありました。
<締めのお言葉>
「それならそれで結構ですよ」と野蛮人は昂然として言った。
「わたしは不幸になる権利を求めているんです」
「それじゃ、言うまでもなく、年をとって醜くよぼよぼになる権利、食べ物が足りなくなる権利、しらみだらけになる権利、明日は何が起こるかも知れぬ絶えざる不安に生きる権利、チフスになる権利、あらゆる種類の言いようもない苦悩に責めさいなまれる権利もだな」
永い沈黙が続いた。
「わたしはそれらのすべてを要求します」と野蛮人はついに答えた。
オールダス・ハックリー著「すばらしい新世界」より
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